M-Times 2021.10

12年ぶりの新人 2021.10

 松田事務所の荒木です。先月のM-Times Vol.27において、『12年ぶりの求人』として、松田事務所への応募、紹介をお待ちしています!と大々的に宣言した直後に、お客さん関係とは全く関係のないところから応募の話が舞い込んできました。そして、その後はとんとん拍子で採用が決まり、10月1日からの入社となりました。

 こういうの(なかなか応募が無いな、えーい思い切ってココに書いてお客さんの知り合い等からの応募・紹介に期待しよう!とした矢先に他から応募の話がくる、みたいなの)をマーフィーの法則というのでしたっけ・・・違っていたらすみません・・・

 とにかく、『12年ぶりの求人』を書いた翌月に、『12年ぶりの新人』を書くことになりました。名前は、原 直輝(はら なおき)、年齢は25歳ということで、事務所の平均年齢をぐ~んと下げてくれる有難い新人さんです。松田事務所に来る前には、他のTKC事務所に勤務していた経験あり、ということで、同じ税理士業界からの転職になります。また、税理士試験にもチャレンジしていますので、会計、税法等の知識もあります。

 さて、ここで、同じ税理士業界からの転職ということについて考えてみたいと思います。以前に他のTKC事務所に勤めていたからといって、すぐにお客さんのところへ行って仕事がバリバリできる、というものでも無い気がします。それは、同じ税理士事務所と言っても、そのやり方、考え方が千差万別だからです。でもだからと言って、仕事の事が全く何も分からない、というわけではないので、強いて例えるなら、京都から沖縄に引っ越してそこで新たな生活を開始する、みたいな感じでしょうか。つまり、同じ日本なので言葉は通じますから、生活自体は普通に行えます。でもその土地の慣習や文化みたいなものは各地によって独特だったりしますので、その地に馴染むまでにはそれなりの時間を要することになります。

 一方で、全く違う業界からの転職となりますと、例えば、日本からブラジルへ移住する、という感じになるのでしょうか。この場合、まずは言葉が通じるようになるところからスタートとなりますので、普通に生活できるレベルになるまでが既に大変です。

 と、めちゃめちゃ強引な例えを引っ張り出してきて一体何が言いたいかといいますと、同じ税理士業界からの転職だからといっても、松田事務所流に馴染むまでにはそれなりに時間がかかるでしょうから、それまではどうか温かい目で見守ってあげてください~というお願いをしたかったわけなのです。

 また、新人さんが入ってくるということで、経験が豊富であるということと、経験があまり無いということの違いについても、自分なりに色々と考えてみたりしました。

 今はとにかく「変化」がとてつもなく早い時代となっています。情報の伝達スピードや、移動速度、技術の進歩等々、色々なことが日々めまぐるしく変化していってます。この傾向は今後益々拍車がかかることになるでしょう。こんな変化の早い時代において、今まで積み重ねた経験・蓄えた知識をアドバンテージとしてどれだけ生かせることができるのでしょうか。勿論、今まで習得してきた知識や技術が全く何の役にも立たない、ということではありませんが、少なくとも、それだけを「拠り所」にはできない、という時代にはなってきているのかもしれません。

 ということは、今までの知識や技術はあくまでも参考程度にして一旦横に置いておき、とりあえず今現在目の前に生じていることについて、まっさらな頭できちんと悩む、しっかり考える、ということが必要な時代になっている、そんな気がします。

 と言っても、大抵の人にとっては、「いやいやいや、今頃何言っているん?そんなん当たり前やん」ってことかもしれませんが、僕の場合は、今回新人さんが入ってくるということで、自分のことを振り返ってみて、ふと、そんな風になってしまっている自分がいたかもなぁと思ったりしています・・・

 とにかく、新人さんが入ってくる、ということは、こんな風に自分を見つめ直す良いきっかけになったり、他にも、仕事のやり方や生活態度や、事務所の自分の机周りの整理整頓、などなど・・・・今まで色々まぁいいか、になっていた部分もありますので、それらをきちんとするいい機会にもなりそうです!


M-Times 2021.9

12年ぶりの求人 2021.9

 松田事務所の荒木です。実は、うちの事務所の木村が7月7日をもって木村から大石になりました。それから既に1ヶ月以上経つというのに、いまだに「木村さん」と言ってしまってまだまだ「大石さん」慣れが進みません。最近では、突然大石さんに遭遇した場合でも大丈夫なようにと、事務所へ向かう途中には「大石さん・・・大石さん・・・」と呟きながら原付バイクに乗ったりしていますが、それでもつい「木村さん」と言ってしまいます。慣れというのはほんと恐ろしい・・・

 と、僕の話しは置いといて、大石さんの結婚で急に浮上したのが、事務所の求人問題です。現在は3人の監査担当者が目一杯のお客さんを抱えている状態です。この状態で、誰か一人が病気やケガで長期離脱した場合にどうするのか、という問題はこれまで事務所内で何度も何度も話し合ってきました。が、結局「求人」ということにまでは話が進まず、まぁ何とかなるやろーで今まで来てしまっていました。(普段リスクマネジメントがどうのこうのってエラそうな事言っているのに・・・ですが・・・)

 しかし、いよいよ先延ばしにはできない事態となってきました。仮に、大石さんの中に小さい大石さんができた場合、大石さんは、小さい大石さん(この言い方ややこしいな・・・)を抱えたまま今みたいにお客さんの元へと自由に動き回るような働き方はできなくなってしまいます。となれば、誰か大石さんの代わりができる人が必要ということになります。ということで、何と松田事務所としては12年ぶりの求人を行う、という決断に至りました。(ほんと、ようやくかーい、ですが)

 ハローワークに求人票を出すにあたり、まずは、うちの事務所がどういう事務所なのかをじっくりと考える、というところからスタートしました。来てくれるのなら誰でもいい、というわけでもなく、できればうちの事務所がどういう事務所なのかを知ったうえで、「こういうとこで働きたい!」って思ってくれるような人に来てほしいと思いますから。(あくまでも理想ですが)

 どういう事務所なのかをあれこれ考えている時に、何と、ピッタリの言葉に出会いました。『心理的安全性』という言葉です。『心理的安全性』とは、「皆が気兼ねなく何でも言えて、自分らしくいられる状態」という事のようです。うちの事務所が今まさにそういう感じで、「これを言ったら怒られるんちゃうかな」とか、「こんなん言ったら恥ずかしいわー」とか、「どうせ言っても通らないやろうし」とか、そういうどんな集団の中にあっても、その中の誰かがつい思ってしまうような事がうちの事務所にはなくて、誰もが何の気兼ねもなく、自由に好きな事を提案したり、相談したりしてきて、それを皆であ~でもないこ~でもない、と話し合ったりしています。

 と言うと、えらい緩い事務所やなぁ、そんなんで大丈夫か~って思われるかもしれませんが、僕が前にいた事務所は所長がとても怖い人で、職員は皆、いかに所長に怒られずに仕事をするかということを優先していたように思います。そうなると、お客さんのことよりも事務所内での事を優先して考えるようになり、どっち向いて仕事しているのかが分からなくなっていました。

 松田事務所では、『お客さんの親身の相談相手になる』ということに全力で取り組んでいますが、それができるのも、事務所内での事に余計な神経を使う必要がないから、というのもあるではと思っています。

 途中まで読んでいて、「おおー、松田事務所いいとこやん!是非親戚のA君を紹介したいわー」みたいな気分となっていたとしても、ここの部分で、「全力でって・・・何か大変そうやし紹介するのやっぱり止めとくわ」って思われたかもしれません・・・・でも、大丈夫です!全力で取り組むと言っても、「全力」の出し方、感じ方は人それぞれなので、そのあたりのことも各自の判断に完全に委ねられています。

 それに、お客さんの事に全力を出していて、自分の家族の事は疎かにしてしまっている、ということもありません。お客さんも家族も両方とも大事にする、という欲張り作戦です。僕の場合も、子供の行事がある時にはほぼフル参加です。

 ということで、「こういうとこで働きたい!」と思ってもらえる方からの応募、ご紹介などなど、お待ちしています!


M-Times 2021.7

御朱印集め 2021.7

 監査部の木村です。早くも6月になり、一年の半分が過ぎようとしています。思えば、昨年4月に初めて緊急事態宣言が発令されて以降、一旦和らいだ時もありましたが、自粛ムードが続き1年を経過しました。まだ、外出自粛は続くのかなと思いながらも、緩和されたら以前やっていた御朱印集めを再開しようかなと目論んでいます。

 まず、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、御朱印とは、

 『朱印(しゅいん)は、主に日本の神社や寺院において、主に参拝者向けに押印される印章、およびその印影である。敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれる。

 複数の朱印の印影を集めることを集印(しゅういん)といい、朱印を押印し集印するための専用の帳面を朱印帳(しゅいんちょう)、御朱印帳(ごしゅいんちょう)、納経帳(のうきょうちょう)、集印帳(しゅういんちょう)と呼ぶ。~社寺の職員や神職、僧侶、氏子などの手によって押印し、参拝者側が自由に押印できないのが一般的である。~確認できるうちでは、遅くとも室町時代末期から江戸時代初期頃には存在しており、当時は神仏習合であるため社寺のどちらで生まれたかは定かではない。起源には、諸説あるが、元々は寺院に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。~基本的には中央に社寺・神仏などの印が押され、それだけでも「朱印」であるが、単に印を押すだけでなく、その下に墨書(黒の墨による毛筆書き)で社寺名・神仏名など、参拝日や「奉拝」などの文字が書かれることも多く、一般的にはその墨書も含めて「朱印」と呼ばれる。』(出典:フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」)

 私が初めて御朱印を頂いたのは島根県の出雲大社で、御朱印の参拝日をみると平成25年11月23日でした。出雲大社へ参拝したのは、60年ぶりの大遷宮があったからです。その時はまだ御朱印帳を持っておらず、一枚物の紙に押印してあるものを頂きました。実は、御朱印の存在を知ったのもその時が初めてだったので、「こういうものがあるのか。」という認識だけでした。

 本格的に御朱印集めをしようと思ったのは、御朱印帳を手にしてからです。初めて手にした御朱印帳は滋賀県の石山寺(石山寺は紫式部が『源氏物語』の着想を得たと伝えられるお寺です。)のもので、その御朱印帳の表紙は石山寺が所蔵する式部の肖像画として最も有名な土佐光起筆の「紫式部図」です。新聞でたまたま石山寺がそのオリジナルの御朱印帳「紫式部・源氏物語 御朱印帳」を販売しているという写真付きの記事を目にし、心惹かれて友人を誘って参拝することにしました。石山寺で手にした御朱印帳にさっそく御朱印を頂きました。日付をみると平成26年2月1日となっています。目の前で書いて頂いた御朱印は墨字で書かれているものは達筆すぎて読めませんが、墨書と押されている朱印が一体となっている様がやけにかっこよく見えました。せっかく手にした御朱印帳を全部埋めたいという思いがふつふつと湧いてきます。一緒に行った友人も同じ気持ちだったのか意気投合し、その後2年くらいその友人とは御朱印帳を持ってあちらこちらの寺社仏閣を巡る仲間になりました。現在は、最初の御朱印帳は使い切り、現在2冊目を使用しています。

写真:御朱印帳

 御朱印は千差万別で見るだけでも楽しいですし、また参拝日もあるので見るとその日の思い出も一緒に甦ってきます。また、御朱印帳も色々あり、社寺はもちろん文房具店やインターネットでも販売されているようです。私の2冊目の御朱印帳は貴船神社で頂いたものです。期間限定のものという謳い文句に釣られたからかもしれませんが、鮮やかな緑の表紙が気に入っています。

 まだ少し先の話になるかもしれませんが、今は御朱印集めを再開できる日を楽しみに待っています。


M-Times 2021.6

親孝行スパルタ式 2021.6

 総務部の石田です。母の日を翌月に控えた4月、松田事務所の月例会議では、松田所長より職員全員に「親孝行代」が支給されます。これは所長の私費でもって下さるもので、文字通り「よくよく親孝行せよ」という下知のもと、一同ありがたや~~っと一斉に平伏して拝受します。(というイメージです)

 我が家の今年の使い道については、計画がありました。ちなみに夫の両親と私の父は既に他界しており、母一択の全振りです。その母に初めてのスマホを買い与えるというものです。

 母は昭和22年生まれ74歳、今時、後期高齢者でもない70台前半なんて、お年寄りとは呼べないかもしれません。しかし物心ついた時からスマホがある子供と違い、未だにATMのタッチパネルで指が泳ぐような人に、初老に足を踏み入れた私が指導するというのが、想像しただけで「面倒臭い・・・!」ので、ずっと目を背けてきたのですが、時は至れり、有難く頂戴した「親孝行代」を握りしめ、いざ某○○ショップへ。

 ここからトラブルが続きます。計画では1日ですべて終わらせるつもりで、事前に××の取扱いがある○○店に連絡し「私が持ってるのと同じ××の機種の在庫があるか?いつ入荷するか?」の確認と「それを1台取り置きしてほしい」と約束し、来店時間を伝えて予約を取っていたにも関わらず、いざ対面すると肝心の機種が「無い」・・・なんやて!?

 とんとん拍子で終わるつもりだったので、その後のスケジュールも色々組んでおり「おんどりゃ~」とゴネる時間的余裕は無く、しれっと○○系の機種を勧めてくる店員の言葉を遮り、ガラケーからのMNP(※○○と契約していた電話番号を、フリーエージェント化する手続き)だけ急かして、その店を飛び出ました。

 私が××の機種にこだわるのは、正に私が使っているからです。母とは同居してませんので、今後電話やLINEなどで何度も私にSOSを出して来ることでしょう。その時に、他機種であったり、違う通信会社だと色々訊かれても「わからん!!」のです。目の前にあれば、ある程度androidスマホ共通の操作であれば教えられるのですが、目隠し状態で、専門用語の共有出来ない相手に伝える術など・・・・ぐぁ~面倒臭い!!

 取り急ぎ××取扱い店をスマホで再検索。近場は直接足を運び、「在庫なし」の返事に落胆、また検索。一番手間取ったのは、直通の番号が載ってないこと。(←サポセン扱い回避のため?)おかげで、そのショップのあるデパートや電気店などの代表電話にかけては、いちいち携帯売り場の店員を呼び出してもらう、というまだるっこしい方法しかありません。

 「もう、今度でいいよぉ」と背後でボヤく母を(よくねえよ)一喝しながら、何店目かの問い合わせでようやく「在庫あり」の返答が!―――歓喜も束の間、電話口の担当から注意点「身分証明書は、健康保険証のみの場合、別途住民票が要る」とのこと。普通はそこまで要りません。再び急転直下です。時間はもう既に17時前、今から市役所に取りに行けというの!?絶望・・・ってアレ??

 ちょうど、今立っている場所からその店への方向に、正に市役所がドーンとそそり立ってるじゃないですか。急ぎ、市役所へ電話をし、閉館は17:15と知るや、間に合う!!走るで、母ちゃん!!!―――というドタバタの後、無事に同じ機種&契約のスマホを手に入れました。他社乗り換えによるボーナスで安くあがったこともあり、その夜はちょっと贅沢な夕食に舌鼓。老人を一日引きずり回した慰労も兼ねて、存分に親孝行させて頂きました。

 実家へ帰宅、スマホ最初の設定は、ほぼ私の独断と偏見で再構築。余計なアプリを片っ端から削除。ガラケー時代の電話帳から手動で電話番号登録。(←友達少ない母で助かった)親戚にはLINEを繋げていきます。私の渾身の使い方説明にはテンション低く「はぁ。へぇ。ほぉ」しか返ってきませんが、致し方ない。お互い疲労がピークです。

 一晩泊まって、翌昼過ぎまで惰眠を貪る私をゆり起こして、母がノートを見せてきます。「これが分からないの」そこには、謎の5角形や虫メガネや渦巻きマークを手書きしたものが・・・そう、スマホのアイコンの数々なのです。そうか。そこからなのか・・・。改めて、絵本の犬を指してワンワン、の域から出発するんだなぁと思うと、面倒臭いながらも、愛しい心地がしました。ひとつひとつ、説明を手書きで足してあげました。

 5月に誕生予定だった従妹の赤ちゃん(母にとっては又甥)が、早産で生まれ、LINEには次々と可愛い動画が送られて来ています。先週、スマホが訳わからん事になってるので見に来てくれと頼まれ、メンテをしてあげたのですが、その傍らで「でも、触ってるとだいぶ分かってきたんよ」と偉そうに言う母が、やたら楽しげで、ホッとしています。


M-Times 2021.5

涙・涙の卒園式 2021.5

 またまた松田事務所の荒木です。先月、子供の幼稚園の卒園式がありました。卒園児入場から卒園児退場まで約2時間の間に、卒園証書授与あり、歌あり、思い出のスライドあり、とかなり濃い内容でした。特に我が家にとっては、うちの子供が卒園生代表として、「荒木〇〇、あなたは三年間幼稚園の教育課程を修了したことを証します」というあの言葉を言われてから卒園証書を受け取るということになっていましたので(「あらき」ということで名簿が1番ですから)、このシーンをしっかり録画するぞ!と気合入りまくりでした。

 担任の先生が立ち上がり、マイクの前にスタンバイするのと同時に、こっちもビデオカメラを構えて録画のスタンバイOKです。いよいよ子供の名前が呼ばれるかと思うと、かなりドキドキです。ところが、いつまで待ってもなかなか名前が呼ばれません・・・おかしいなと思い、子供に向けていたビデオカメラを一旦止めて先生の方を見てみると、なんと先生が号泣されていました。

 うちのクラスの担任の先生は、割と年配の方で、園でもベテランの部類に入ります。当然卒園式も担任として何回も経験し、この名前の読み上げも普通にこなしてこられていたそうです。それが、今年はいざ名前を口に出そうとしたら色々なものがグワっとこみ上げてきて、抑えきれなくなったとのことです。それだけ今年の1年間というのは色々あって、先生にとっても大変で、だからこそ「いつもの」1年間じゃなく、特別な思いが詰まった1年間になっていたのかもしれません。

 ここの幼稚園は、コロナ禍にもかかわらず全ての行事を予定通りに行うという方針を取っていました。先生方にとっては、何かがあって行事が飛んでしまったり、練習できない期間ができてしまわないよう常に細心の注意を払っていたのだと思います。それこそ、極度の緊張状態を強いられる日々だったのではないでしょうか。しかも、幼稚園の中だけのことに留まらず、自分自身のプライベートや、自分の家族に対してまでも同様の注意深さを求めていたかもしれません。それだけのことをやって来れたのは、今年の年長クラスの子供達にも、できるだけいつもの年長クラスの子供達と同じような幼稚園生活を送らせてあげたいという想いがあったからだと思います。そして、色々ありながらも何とか無事迎えられたこの卒業式です。今まで張りつめていた何かがふとこの瞬間に緩んだのかもしれません。ただ子供達と別れるのが悲しいというだけじゃない涙が先生からとめどもなく溢れてきているように見えました。

 卒園証書を授与された子供は、クルっと向きを変えて親の方を見て「お父さん、いつも一緒に遊んでくれてありがとう。お母さん、いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう」という感じで、自分自身が考えた感謝の言葉をそれぞれが言います。クラスの中で一番しっかりしていて、お姉さん的な存在だった女の子が、この感謝の言葉を両親に言った後で、堪え切れずにワーンと泣き崩れてしまいました。卒園式の練習では、他の子が思わず泣いてしまうと「大丈夫だよ」といつも慰め、本人は全く涙を見せなかったというその子がです。それを見て今まで我慢していた他の子供も、一気に泣き出しました。

 泣いている子を見て茶化しているやんちゃな男の子もいたのですが、式の終盤にある「思い出のスライド」で今までの幼稚園生活の場面が流れてくるとダメでしたね。今度はその子が、一番大きな声をあげてワンワン泣き出してしまいました。勿論親の方は、最初の先生の号泣の場面からずっと泣きっぱなしです。子供がここまで大きくなったのかという嬉し涙というよりは、子供達の悲しい気持ちが伝わってきての涙です。とにかく泣けて泣けてたまりませんでした。

 園児のほとんどが涙を流し、しかもその内の半分くらいが泣き崩れてしまい、先生方に支えられたり、慰められたりしながらの卒園式というのは、かなり衝撃的でした。こんなにも幼稚園の事が大好きで、こんなにも友達や先生の事が大好きで、こんなにもここでの時間が大好きで、という真っ直ぐな思いが、ストレートに伝わってきました。そして、その大切だった時間がもうすぐなくなってしまうんだ、というどうしようもない悲しさも。

 なくしてしまう事をツラく悲しく思えるのは、「なくなる」ということがどういう事かが、何となくでも分かっているからだと思います。この年齢でそれを学べたというのはすごい事だと思います。今のこの瞬間はもう二度と来ないということを感じながら生きることは、「今」を大切に生きることに繋がりますから。

 コロナを通じ、それを学びとして子供たちが自然に感じられるようにとしてくれたこの幼稚園での日々は、本当にかけがえのない素晴らしい時間だったなぁと改めて思った卒園式でした。


M-Times 2021.4

荒木家のコロナの話3 ~コロナが近くにやって来た~ 2021.4

 監査部の荒木です。色々ありましたが、1月にとりあえず小学校のお受験が終わり、ようやく日常が戻ってきました。2月の下旬には3年間の幼稚園生活での集大成でもある「音楽祭」があります。年長のクラスは、歌、鍵盤ハーモニカ演奏、そして鼓笛隊と3つを行います。特に鼓笛隊は太鼓(大太鼓、中太鼓、小太鼓に分かれる)を叩きながら隊列を組み、リズムに合わせて足踏みしながら舞台の上を色々なフォーメーション(十字回転等)で動き回るというかなり難度の高いもので、昨年や一昨年の音楽祭で年長さんの鼓笛隊を見た時は、うちの子がこれをできるようになるのかと内心ビビったものです。

 2月に入り、いよいよ音楽祭に向けてラストスパートとなる矢先に事件が起きました。園児の1人にコロナの陽性者が出たのです。幼稚園は即日に休園となり、その数日後には、保健所の指導でPCR検査が行われました。うちの子もPCR検査を受ける事になりましたが、濃厚接触者ではなく念のためのPCR検査ですという案内がありましたので、ほぉほぉこれが噂のPCR検査というやつか、くらいの軽いノリで検査を受けてました。(と、思っていたのは僕だけかもしれませんが・・・)

 その夜、検査結果は翌日には出るという事と、陰性なら幼稚園から、陽性なら保健所から連絡が入るというお知らせが幼稚園から届きました。検査自体は軽い感じで受けていたものの、やはり結果がちゃんと出るまでは何処か落ち着かず、携帯が鳴る度に「どっちからの電話や」とビビりました。

 そうこうしているうちに無事幼稚園の方から連絡が来て、ホッとしました。が、今回のPCR検査で陽性者が他に4名出たという事も分かりましたので、完全に安心する事もできなくなりました。子供が二次感染している可能性も出てきたのです。この日に開催された家族会議で決めた事は、僕も家で一緒に14日間の自宅待機をする(実家やホテル等に避難しない)という事と、数日間空けて再度子供にPCR検査をするという事です。1回目で陰性となった場合は、幼稚園や保健所からは求められないという事もあって、複数回PCR検査をやるというような家庭はほぼありませんでした(僕の知ってる限りですが・・・)が、僕が14日間の自宅待機経過後にすぐ動けるように段取りを組むためには、二次感染もしていないという事を早めに知っておく必要があるため、うちはやる事にしました。(余談ですが、僕自身も自宅待機するという事を一切の迷いもなく決断できたのは、普段から「今は非常時だ!」として在宅勤務できる体制を事務所が取っていた事が大きかったです。)

 この時点でも、新たな4名の陽性者がどのクラスから出たかの情報等は一切出てきませんでしたが、翌日、いつも一緒に遊んでいる同じクラスの友達の親から「PCR検査で子供が陽性となった。もし迷惑をかけるような事になったらごめんなさい」という連絡が回ってきました。これでうちの子が二次感染している可能性がグーンと跳ね上がりました。というか、もしうちの子が感染していたとしたら、妻や僕も感染している可能性大となります。子供は感染していても無症状か軽症で済むようなのでまだいいのですが、自分達が感染した場合はどんな苦しみや後遺症が待っているのか、入院となったら子供はどうなるのか、仕事はどうなるのか・・・等、とにかく頭の中が不安と恐怖でいっぱいいっぱいになりました。ですから2回目のPCR検査で陰性と分かった時は、家族3人声を揃えて「やったー!」の絶叫でした。

 その後の情報で、陽性となった4名の園児の家族に行ったPCR検査の結果も、全員が陰性だったことが分かりました。これで、待機期間が経過するまでの残りの数日間は、単に「念のため」の意味が強くなり、自分も感染してるかもと思いながら過ごす日々と比べると、精神的にはかなり楽でした。(早く通常通り仕事がしたいと気持ちは焦ってましたが・・・)

 そして迎えた音楽祭の当日、鼓笛隊の演奏が始まる前に園長先生のお話がありました。「自宅待機期間が明けて練習が再開された最初の日の朝、いつものように太鼓を叩く音が聞こえてきました。今まで長年色々な太鼓の音を聞いてきましたが、こんなに気迫がこもった太鼓の音は初めてでした。今年の年長さんの練習時間は例年の3分の1しかありませんでしたが、それを全く感じさせない仕上がりになっています」と。

 実際その通りの素晴らしい演奏でした。子供達からは「この一瞬を無駄にしない!」みたいな何かすごい真剣さやエネルギーのようなものが溢れ出しており、涙なしでは見れませんでした。音楽祭前に、突然コロナという災難に見舞われたわけですが、時間というものには「長さ」だけじゃなく「濃さ」もあるのだという事を、身をもって知ることができたのは子供たちにとってとても大きな財産になったような気がします。


M-Times 2021.3

小学校お受験 ~人生最悪の日~ 2021.3

 松田事務所の荒木です。子供が通っている幼稚園は、大半の子が小学校受験をします。うちの子のクラスでは、半分くらいの子が京都教育大学附属京都小中学校を受験するということもあり、うちの子も自然の流れとして附属を受験することになりました。附属は、学費の面でもお得な国立で、しかも家から徒歩圏内で、更には僕の母校でもあるので、親としてもノリノリで応援していました。ただ、ここの学校の独特なとこは、一次検定という名の通常の入試(学力・制作・運動・口頭試問)に合格した後に、二次検定として親が引く抽選があるところです。でもまぁ最近は一次検定重視で、抽選ではほとんど落ちないという事を聞いていたので、とりあえず一次が通ればそれでいけるだろうと安易に考えて受験に臨みました。

 入試対策としては、うちの場合、家で親が子供に付きっきりでガッツリ勉強させるというのはやりたくなかったので、基本的には塾に頼りました。試験前になると授業は毎回テスト形式で、その日の終わりに1位から3位までを皆の前で発表して表彰するというやり方をやってました。うちの子も最後の方ではかなり問題に慣れてきており、1位とか2位とかを普通に取ってきちゃうくらいになってて、頑張ってるなぁといつも感心していました。と、言いたいのは子供が頑張っていたという自慢ではなく、これは単なる前振りでして・・・

 さて、いよいよ試験当日がやってきました。まずは子供の出番ですが、全然緊張することもなく、普段塾に行ってるのと同じような感じで試験を受けに行き、特に問題もなくこなしてきました。しかも、恐らく満点ちゃうかぐらいのデキ(本人談)だったようです。男子は182人受験して121人が落ちるのですが、5日後の合格発表では見事に合格を勝ち取ってきました。そして合格発表の次の日が二次検定、いよいよ親の出番です。男子61人の合格者が48人に絞られるという抽選です。うちの場合は、運だけで生きてきていると自称している僕が当然のように選抜されました。男子合格者61人の内、4月~9月生まれの32人が「赤」、10月~3月生まれの29人が「青」と、2つにグループが分けられ、「赤」からは25人、「青」からは23人の合格者が選ばれます。うちは「青」グループなので、29人中の23人に入ればいいわけです。6人だけが落ちるので、運だけで生きてきた僕にとってはめちゃめちゃ楽勝です。しかも、6人の内、2人が補欠合格となりますので、完全に落ちるのはたったの4人です。どう考えても落ちる気がしません。しかも僕の場合は、ただこの日を漫然と迎えたわけではありません。この日のためにかなりの準備をしてきています。常日頃から「運がいいとか悪いとかは、普段どのように過ごしているかの結果に過ぎない。心の中に『負い目』を持たないよう普段から気を付けていればそれが結果として運の良さに繋がるんや!!!」と豪語して、特に受験前は日常生活にかなり気を付けていました。ちょっとでも気になる事があればそれをやるようにし、心の中に「あの時やっておけば良かった」が溜まらないようにと。例えば、二次検定の前々日の日曜日に、突然子供が御室八十八カ所に行きたいと言い出した時は、寒いし、しんどそうだし・・・と乗り気ではなかったのですが、「あかん、あかん、あの時行っておけば良かった」ってならないように行っておこう!と重い腰を上げて行ってきましたし。また、二次検定当日の朝はどういうわけか急に「あれ?昔は般若心経覚えててちゃんと言えてたけど、今はどうやろ?あかん!もう忘れてるやん!」となり、何とか抽選の時間に間に合うように必死で覚え直しましたし。とにかく、後悔なく全てをやり切った!という清々しい気持ちでクジが引けるようにとギリギリまで気を遣いました。そして無事、心に何の負い目も無い、まさに「無」の状態でクジを引くことができました。ここまでは完璧です!
で、その結果、何と29人中、完全なハズレである4人の内の1人になってしまいました・・・・

 こんなことってあるのでしょうか・・・多分、抽選にかける思いは他の抽選者と比較してもかなり強かったはず。そのための準備や、心がけもしっかりしてきたのに・・・いや、むしろそれがダメだったのか・・・いやいやそんなはずは・・・・

 とにかくもう呆然ですよ。子供があんなに頑張ったのに、親の自分がそれを台無しにしてしまうなんて・・・

 抽選にハズレたと報告した後、子供は「附属行きたかった。みんなと行きたかった」と、号泣です。が、こっちは哀しすぎて涙も出ません。声をからしながらも泣き続ける子供の姿を見つめながら、今まで味わったことのないほどの絶望感を味わってました。ただただどん底です・・・

 でも、これを書いている今はちょっと立ち直ってて(子供じゃなく僕が)、いつかきっと、附属落ちてこっちの小学校に行って正解やったなぁと心から思える日が来るんちゃうかなぁと思ったりもしています。

関連記事(その後、小学校での様子)をホームページの『行雲流水(所長&副所長の雑感)』に掲載しています!
『行雲流水(所長&副所長の雑感)』はこちら


M-Times 2021.1

正常性バイアス 2021.1

 松田事務所の荒木です。「正常性バイアス」という言葉をご存知でしょうか。ザっと意味を調べてみますと、『社会心理学、災害心理学などで使用されている心理学用語で、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。自然災害や火事、事故、事件などといった自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、都合の悪い情報を無視したり、「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、逃げ遅れの原因となる』とあります。

 生き残っていくためには、本来は平時と非常時で『判断基準』を変える必要があるのですが、非常時にあっても「普段通り」の行動・生活をしてしまう事を正常性バイアスが働いていると言うようです。

 でも、今が「平時」なのか「非常時」なのかの判断ってどうやってするんでしょうね。例えば、台風や大雨で避難勧告や避難指示が出た際、避難場所である公民館や体育館に避難しようという風にはなかなかなりません(僕の周りだけかもしれませんが・・・)。避難することで生じる「不自由さ」「不便さ」を想像し、「この程度なら非常時と言えへんわ」「きっと今回も大丈夫やろ」といつもなっちゃいます。

 そして、その結果はと言いますと、「いつも通り大丈夫やったなぁ」となっています。こうやって、やっぱり避難しなくて良かったやん、という事を繰り返えすうちに「非常時」を感じ取る感覚が鈍くなってきているのかもしれません。いや、そもそも今まで生きてきて「非常時」という事についてきちんと考えたことすら無かったかもしれません。

 今回、新型コロナウィルスの感染拡大が起こった事で、今が「平時」なのか「非常時」なのか、そして、「非常時」って何なのかを割と真剣に考えてみました。(今頃か~い!ですが・・・)

 そこで思ったのが、「非常時」らしい「非常時」なんてそんなに無いのでは、と。あるとすれば、「非常時」になる可能性が出てきた「平時」なのでは、という事です。例えば、「今年の冬は寒いで~、雪降るで~」と予想されている年の冬に、いつも行っている山の中にある温泉に車で遊びに行くという状況を考えてみます。その山は、いつもなら雪が積もるということも無い山なのですが、今シーズンは「雪降るかもしれへんで~」と言われていますからどうなるか分かりません。そこで一応考えます。スタッドレスタイヤを購入、またはレンタルすべきか・・・でも、買いに行ったり借りに行ったりする時間も無いし、その費用も惜しいとなり、え~い!いつも大丈夫なんだしこのままノーマルタイヤで行っちゃえ~となりがちです。(僕の場合だけかもしれませんが・・・)

 そして温泉をたっぷり堪能し、暗くなってきたからさぁ帰ろうと車に乗り込んだ途端に大雪が降りだす・・・となると完全な「非常時」の到来!です。が、こうなってからでは手遅れです。「非常時」となる可能性が出てきた時点で、「平時」モードから切り替えておく必要があったのです。

 でも、この「非常時」となる可能性が出てきた時点での判断っていうのがまたまた難しい。その事について内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授)は言います。

自分が見ているものだけから今何が起きているかを判断しない。自分が現認したものの客観性・一般性を過大評価せず、複数の視点から寄せられる情報を総合して、今起きていることを立体視することである。「主観的願望をもって客観的情勢判断に替える」というのが正常性バイアスの実態である。主観をいったん「かっこに入れて」、複数の視点から対象を観察する知的態度のことを「正常性バイアスの解除」と呼ぶのである。

 つまりは、自分が今まで経験してきた事や、今の自分の周りから得られる情報だけで判断せず、もっと広い視野を持って判断すべきと。しかも、こうであって欲しいという願望をまずは置いておいて・・・と。

 新型コロナウィルス、判断は人それぞれですが、「周りで感染しているやつおらんし」や「自分は感染しーひんし」ではない判断が求められている気がしています。(こんな僕ではありますが・・・)