M-Times 2022.7

効率的って・・・ 2022.7

 松田事務所の荒木です。久々の登場となります。少し前の話になるのですが、昨年の11月頃からスマホの調子が突然悪くなり出しました。常に熱を帯びており、バッテリーはすぐになくなるし、アプリを開くのに数分~十数分かかるようになるし、電話がかかってきたのに画面を押しても電話が取れなくなるし、文字を入力しようと思っても1文字入力するのに数分単位の時間を要するようになるし・・・と、とりあえず何をするにしても時間がかかる、という状態になってしまいました。

 最初は、今まで出来ていた事がスムーズに出来なくなった事に対してかなり不便に感じていました。でも、スムーズじゃない事に慣れてきている自分も居て、今となっては、そこまで嫌な気持ちや焦る気持ちが無い状態でスマホに接することができるようになりました。写真を撮りたいのにカメラがなかなか起動しない、なんてことがあっても、ボタンを連打しまくるようなこともなく(最初の頃はやっちゃってました・・・)、そのうち起動してくれるさ~くらいの感じで今は待ててます。

 そう考えると、いつもよりほんのちょっと時間や手間がかかるようになった事に対して、どうしてあれ程感情を高ぶらせていたのかと、不思議な気もしてきます。

 そんな時に、コロンビアの先住民であるコギ族がロンドンに招かれた時の話を聞きました。マンチェスターへ抜ける巨大なトンネルを通った際に、現地の人がコギ族の人に「このトンネルができたおかげでマンチェスターへ着く時間を30分短くするこができたのですよ」と説明した時、コギ族の人はその言葉に驚きながら「たった30分のために山に穴を開けたのか・・・」と絶句したそうです。

 時間を30分短縮する、ということだけを捉えれば、効率的になって良かった良かった、となるのでしょうが、そのための代償として「山」に穴を開けちゃってます。コギ族の人にとっては、30分という時間の短縮と、「山」という自然物に手を加える、という事を天秤にかけた時、「山」の方へ思いが傾いた事からあのような反応になったのでしょう。この感じ方の違いは、コギ族の人々の普段の暮らしぶりや環境から生じたものかもしれません。ただ、共通していることとして、効率的になることの裏側には、何らかの代償がある、ということが考えらえるのでは、と思います。

 世の中に、「タイパ」という言葉あります。「タイパ」とは、タイムパフォーマンスの略で、『あるものに費やす時間とそれによって得られるものや満足度を対比させた度合いのこと』を言います。短い時間で得られるものが大きい場合、「タイパが良い」と言ったりします。(「コスパ」の時間バージョンという感じです)

 そして、「タイパが良い」サービスとして、ビジネス書を要約して10分で読めるようにしたものや、映画を10分で観られるようにまとめた「ファスト映画」と呼ばれるもの(著作権を侵害して製作されたものは違法となりますが)まであるそうです。

 確かに、日々時間に追われて生活している者にとっては、数時間かかる小説や映画をわずか10分で読んだり観たりする事ができるとしたら、これ程有難いことは無いかもしれません。でも、それってただ単に内容を知った、というだけのような気もします。『効率的』に内容を知ることによって失くしているものって、あるのではないでしょうか。

 というようなことを、この動きがスムーズじゃなくなったスマホを使って検索するとき等に感じるようになりました。文字をパッと入力したらその答え(もしくは答えの載ってそうなサイト)をササっと教えてくれる、というのはすごく効率的です。でも、あまりにも効率的過ぎて、あれこれ考えたり想像を巡らせたりする時間というものを失くしていたような気がします(僕だけかもしれませんが・・・)。

 それに、よく考えてみれば、何かを調べるにしても、知りたい事をただ「知る」のが目的じゃなく、「腑に落ちる」とこまで行くのが目的のことが多いです。が、『効率的』に知ってしまうと、言葉だけが頭の中をサラ~っと駆け抜けてそれで分かったような気になってしまう、ということになりがちでした(くどいようですが、僕の場合はですが・・・)。これが『効率的』に知るということの代償だとすると、今までかなりの代償を払ってきたことになります。

 スムーズに動かなくなってからというもの、スマホを新しくするよう促される事が多々ありますが、そういうことをこのスマホが身をもって教えてくれているのだとしたら、新機種に交換することなんてできませんよね!