
監査部の小島です。しばらく膝が痛くリハビリ通いをしていましたが、なぜか体重の増加とともに痛みが無くなった小島です。
1年半ほど前から両膝に痛みが出始め、ジョギングもできない、屈伸もできない、座っている時はどこかにつかまらないと立ち上がれない状況でした。レントゲン撮影等でも痛みの原因がわからず、リハビリでの筋力アップによる改善を試みていました。自宅で毎日筋トレを継続し、月に2回リハビリに通っていました。リハビリでマッサージを受けると痛みが和らぎはするのですが、ソフトボールをするとまた痛みが戻ってくる。膝のサポーターをソフトボールの時に装着するも、何も改善されませんでした。ソフトボールで痛くなり、リハビリで痛みが軽減、2週間ほどで痛みが無くなっていき、またソフトボールで痛みが出るという繰り返しでした。
膝の痛みに改善が見られないまま4か月程が経過。その頃には日々の筋トレの辛さからやめてしまっていました。ただ、何もしないよりかは・・・という事で、お風呂の時やテレビを見ている時に簡単なストレッチだけをすることにしました。片足だけ伸ばして足先を手でつかむという本当に簡単なストレッチです。
すると痛み改善の兆しが。ソフトボール後の痛みの程度が段々と軽くなり、また痛みが無くなるまでの期間も短くなってきました。でもまだジョギングはできない。いい傾向なのでその後もストレッチは続けていました。膝に痛みが出た当時よりも体重が7kgほど増えた頃、気づけば膝の痛みが消えていました。脂肪で膝のまわりが保護されているのか?理由はわかりませんが治ったんです。今では屈伸もできます。
体重が増えた事と、膝の痛みが無くなった事の関連は未だ不明ですが、体のケアは重要だと再認識させられました。特に身体の硬い私にとって、ストレッチはとても大切です。
前置きが長くなりましたが、今回は栗東市ソフトボール協会2021年公式戦2戦目「会長杯」からの話です。なんと公式戦2戦目にして初優勝しました~!!!って、今回の大会参加はチームKとうちのチームの2チームのみ・・・。勝てば優勝、負けても準優勝という、なんともさみしい公式戦でした。そもそも協会に登録しているのが5チームと少ないのですが、公式戦なのに参加が2チームだけって・・・。私自身は3打数2安打1ホームランと個人的には満足な結果でした。
2週間後に行われた公式戦3戦目「ビックスポーツ杯」は4チームが参加、初戦で強豪チームSとあたりました。チームSは毎週練習されており、ピッチャーの球は速く、変化球も多彩。攻撃面では、良く打ち、バンド等小技も上手く、少しでも油断したら次の塁に進まれてしまう・・・うちのチームの様な、みんなで楽しくソフトボールをしよう!ではなく、競技としての勝つためのソフトボールをされるチームです。こちらのピッチャーも、そんなチーム相手に粘ったのですが2-1で負けてしまいました。(小島成績2打数0安打)後から聞いたのですが、この日のチームSはベストメンバーではなかったらしいのです。

チームSは草津市ソフトボール協会(以下、草津市協会)と栗東市ソフトボール協会(以下、栗東市協会)の2つに加盟されています。チームSには女性も加入されているのですが、草津市協会の公式戦では女性の出場が認められていません。一方で栗東市協会の公式戦は女性の出場が認められています。そのため栗東市協会の公式戦は、草津市協会の公式戦で出場できないメンバーを中心に参加しているとのことでした。(草津が1軍、栗東が2~3軍?)
ベストメンバーでは無くても本格的にソフトボールをされているチームとの対戦はなかなか刺激的でした。いつかこのチームのベストメンバーにも勝てるといいなと思いました。
初戦敗退でしたので、本日2試合目は3位決定戦となりました。対戦相手は栗東市協会の公式戦初戦で負けたチームR。でも前回とは違い、人が足りずにかき集めたのか未経験者が多く、14-2で勝ちました。(小島成績2打数1安打2打点)どこのチームも参加人数の確保に苦労されているようです。うちのチームも例外ではなく、毎試合9人そろえるのがなかなか大変です。2021年シーズンの公式戦は残り3戦、無事に試合に参加できるのか・・・つづく
松田事務所の荒木です。もしかしたらそういうイメージは全然無いかもしれませんが、実は3年程前からキャンプに行っています(年に2回くらいのペースですが・・・)。きっかけは、滋賀県に住む妹家族(妹、旦那さん、中学生男子1名、小学生女子1名の計4名)がキャンプにはまっており、うちも一緒に行こうと誘ってくれたことです。
まず一度体験してみては、となり、妹家族が持つテント(大、小2つのテントを持っており、状況によって使い分けているらしい)一式を借りての「手ぶらで参加するキャンプ」から始めました。全く初めてなのでテントの張り方も分かりませんから、テントも張ってもらい、料理も作ってもらいと、何から何までやってもらってのまさに「接待キャンプ」でした。緑が溢れる自然の中、用意された椅子に座って、焼きあがったアツアツのお肉を食べながらビールをグイっと(息子はジュースをグイっと)やった瞬間、参加した息子と僕とでバーベキュー最高~!キャンプ最高~!と叫んでいました。そして、その場で次も機会があれば誘ってもらうようお願いしました(ちなみに、うちの奥さんはアウトドアがちょっと苦手、ということもあり参加せず、です)。
ただ、いつまでも接待キャンプというわけにはいきません。さすがにテントくらいは自前で用意をした方がいいかなと思っていた時、お客さんから「使わなくなったテントがあるし、あげるよ」との声がかかりました。それは5人くらいが寝られる大きなテントで、僕と息子が2人で寝るには充分過ぎる広さがあるものでした。それならばテント内を大胆に使ってみようと思ったのと、キャンプマットや寝袋の種類が色々あり過ぎて寝具としてどれを買えばいいのか分からなくなった、ということもあり、家で寝る時に敷布団代わりに使っている折り畳み式マットレスと掛布団と枕をそのままテント内に持ち込む、というのをやってみることにしました。
妹家族の車の中を覗いてみますと、キャンプマットや寝袋が家族分積まれており、いかにも「キャンプ」という雰囲気がする一方で、うちの車の中は、大量のスノコ(マットレスの下に敷き詰めるため)に、マットレスに、掛布団に、愛用の枕に、更には抱き枕まで用意していますから、パッとみた感じではキャンプに行くというよりかは「引っ越し」に近い感じとなります。
ちなみに、既に6回くらいはキャンプに行っていますが、今でもこの布団セット持ち込みスタイルは変わっていません。キャンプ場によっては、駐車場が少し離れたところにあり、そこからキャンプ場のリヤカーを借りて荷物をテント設営場所に運ぶ、というところもありましたが、リヤカーに布団セットを山積みにして運んでいる姿は引っ越しどころじゃなく夜逃げちゃうか、というくらいの異様さを醸し出していたような気もします・・・が、でもまぁ、人の目さえ気にならないのなら、布団セットによるテント就寝ほど快適なものは無いのではと今でも思っています。
まず、キャンプ道具としてキャンプマットや寝袋の収納場所を家に確保する必要がありません。朝、出掛ける前に寝室から車へ布団セットをそのまま運び出し、帰宅したら車から寝室へ戻すだけで済みます。また、枕が変わったら寝にくい、ということをよく聞きますが、家と全く同じ枕なので、その問題は出てきません。更に、キャンプマットがいまいちで熟睡できなかった、ということもたまに聞きますが、家で寝ているのと全く同じ状態(マットレス&掛け布団&寝間着&抱き枕)で寝ているのでそれも問題ナシです!唯一問題があるとしたら、あまりにも家と同じ状態にしすぎているせいで、朝目が覚めた時に、テントの中で寝ていたにもかかわらず家で寝ていたかのように錯覚してしまって、非日常感が薄れてしまうことくらいです。
とまぁ、こんな感じで、ほぼ「形から入る」ということをせずに始めたキャンプですが、この「形から入る」ということをしなかったことによって今思っているのは、せっかく自然が溢れているところで過ごすわけですから、こうあるべきという「形」にはこだわらず、自分達なりの自然なやり方に身を任せる、というのもアリなのでは、ということです。
キャンプ用の道具はできるだけ揃えず家にあるものを持って行く、当日や翌日が雨予報ならキャンセルする、夕食や朝食はお腹の空き具合に開始時間を合わせる、眠くなったら寝る(大抵普段と同じく21時頃には就寝しているかも・・・)、翌日は早々に引上げて近くの温泉に立ち寄ってから帰る、というような感じで、自分達なりのゆるさ加減でキャンプをしています。仕事や習い事などのように、まずは「形」が重視されるものとは違い、「自分達なり」というものが最初から許される(と思い込んでるだけ?)のもキャンプの醍醐味ではと思っています(ケチだからじゃないです!)。
松田事務所の荒木です。先月は監査部の原がM-Timesの裏面を担当し、びわ湖花火大会についてのアレコレを書いていました。文章を書く、というのは難しいことだと思います。しかも、写真等である程度の調節ができるとはいえ、A4用紙1枚分のスペースをギッシリ文字で埋める、となるとそれなりに読み応えのあるものが求められますので、更に難しさがアップします。ということで、担当となった者は毎回ヒーヒー言いながらも(ヒーヒーの個人差はありますが・・・)何とか書き上げているのがこのM-Timesとなります。
原の場合はと言いますと、文章を書く経験が浅いということもあってか、ある程度のカタチに仕上がるまでの道のりが遠く、毎回、編集長である総務部の石田から数々の指摘を受けて何度も書き直しをしています。先月のびわ湖花火大会に関しては、たまたま事前に原稿を見た監査部の小島が、これではいかん!と思ったのか、夜ナベまでして「指摘事項一覧表」なるものを作成し、石田と2人がかりで原のサポートを行っていました。
そして、その様子を見ながら僕は、サポートすることはそっちのけで(すみません…)、「学ぶ」というのはどういうことなんだろ?ということを考えていました。神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は言います。
| 「学ぶ」というのは一言で言えば「別人になること」である。「呉下の阿蒙(ごかのあもう)」という話がある。三国時代の呉の国に呂蒙(りょもう)という将軍がいた。勇猛な武人であったが、惜しいかな学問がない。主君の孫権が「将軍に学問があれば」と嘆じたのに発奮して、呂蒙はそれから学問に励んだ。しばらくしてのちに同僚の魯粛(ろしゅく)が久しぶりに呂蒙に会ってみると、その学問の深さ見識の広さはかつての彼とは別人であった。魯粛は「君はとてもかつて『呉下の阿蒙』(いつまでも進歩しない者。昔のままの無学な者という意味)と呼ばれていた人とは思えない」と驚嘆した。これに対して呂蒙は「士別れて三日、すなわちさらに刮目して相待すべし」と答えた。士たるものは三日会わないでいると別人になっているぞ、と。 私が子どもの頃には時々この話をする年長者がいたが、ある時期からいなくなった。単に漢籍の知識を重んずる風が失われたということではなく、人間が知的に成長するというのは「別人になること」だという知見そのものが失われたためだと思う。知的成長ということを現代人はたぶん「知識の量的増大」というふうに考えている。人間としては何も変わっていないのだが、脳内の情報ストックが増えている状態を「成長」と呼び習わしている。だから、何日経って会おうともとりわけ「刮目する」必要はない。「入れ物(コンテナ)」は同一で、「中身(コンテンツ)」が増加しているだけだからだ。でも、それは「学び」とは違う。学びというのは「入れ物」自体が変わることだからである。「刮目」してまみえないと同一性が確信できないほどに人間が変わることだからである。学びが深まれば、話す内容が変わるにとどまらず、表情も、声も、挙措も、着付けも、すべてが変わる。 「私たち」に知的に「欠けているもの」があり、それを充填したい、として行う営みは「学び」ではなく、「補充(supply)」と呼ぶべきだろう。「補充」なら「入れもの」は同一性を保ちながら、「中身」だけが増えてゆくありようを正しく伝えられる。 |
文章を書く、ということによって本質的に僕たちが原に求めているものがあるとしたら、それは、現時点で原に「欠けている」ものを「補充」して、サラサラ~っと文章を書けるようになってほしい、ということではありません。文章を書く、ということからでも、「別人となるくらいに成長ができる」ということを知ってもらうことです。
と、いつもの如く熱く語っちゃっていますが、実は僕自身、「学ぶ」ということを全然分かっていません。頭では、ふむふむ、なるほど、そういうことか、と思いながらも、実際どうすれば別人となるくらい成長する「学び」に到達できるのかもチンプンカンプンです・・・。
でも、今改めて自分自身のことを振り返ってみて思うのは、この事務所に入る前と今とでは、何かがあった時に湧き上がる感情だったり、咄嗟に出る言葉だったり、思わず取る行動だったりと、そういう本当にちょっとした何気ないところが以前とは明らかに異なっている様な気がします。それが「学び」によるものだとすれば、それは、所長の松田や諸先輩方、そしてお客さんを含め周りの色々な方々から日々知らず知らずのうちに「学ばせて」もらっている事の結果なんだと思います。
そして、いつか原にも、単なるノウハウや知識の「補充」だけではなく、本来の「学び」というものを自分は得ているのでは、とふと思えるような日が来ることを密かに願っていたりもします。
監査部の原です。最近暑い日が続いており、バイクで走っている時に見かける温度計では40℃近い表示になっており、蒸風呂に入っているような感覚です。そのためすっかり参ってしまい、「早く夏が終わってくれ~」と嘆いています。数年前までは夏が近づくにつれテンションが上がっていたのが、今では真逆の感想に…。ふといつ頃からこうなったのか考えてみるとコロナ禍以降でした。それまでは夏ならではの楽しみが多く、暑さも気になりませんでしたが、様々な夏のイベントが無くなったことで暑さの不快感のみが残ってしまったようです。
そこで「今年こそ夏を満喫するぞ!」と意気込んでいたところ、あるお客さんより「8月8日、あなたの地元のびわ湖大花火大会が4年ぶりに開催されますね」と話題を振られました。その通り、例によってコロナの為の中止が続いており、すっかり忘れていたところでしたが、これ幸いと8日は花火見物へびわ湖畔にある実家へ赴きました。
このびわ湖大花火大会は、私の実家のマンションが建つ前の1984年から始まりました。そのため花火が見えることがマンションの“売り”の一つでした。確かに私が子供の頃は自宅から花火が見えていたのですが、16年程前に琵琶湖沿いに更に大きなマンションが建設されたことで、花火の景観が大幅に遮られることに。当時は、毎年友達を招いて自宅から見るのを楽しみにしていたため、「そんなところに建てるなよ!」と子供の私は怒り心頭です。
ところが捨てる神あれば拾う神あり、家の近くにある「滋賀県立柳が崎ヨットハーバー」が湖の目の前で、遮るものがないため、ここでは変わらず満開の花火が見えたのです。周りにはスーパー等もあり、友達と席を確保した後に各々好きなお菓子やジュースを買い込むにも、手軽にトイレに行くのにも便利なので、この年以降は私たちが花火大会を満喫するお気に入りの場所になりました。さらにこれだけ条件が良いにも拘わらず、他の所に比べると混雑していないため、無料で見るなら膳所から浜大津一帯に行くより、まさにこちらは「穴場」でした。今回調べていて驚いたのが、この「柳が崎ヨットハーバー」は、所長の松田が長年、所属していた琵琶湖ヨット倶楽部の活動拠点だったことです。意外なところで松田事務所とのつながりが見つかりました。

今年はコロナ明けの久しぶりの大会であり、人の混み具合の予想が出来ないので、ヨットハーバーに行くか実家で見るか迷ったのですが、こちらも数年振りに自宅から見ることにしました。
左の写真のようにマンションに邪魔されて右側の下部分が見えないものの、思いのほか全体の3分の2程は見えたので、驚きました。確か以前は3か所からの打ち上げだったため左のマンションに隠れる部分が多く、見応えの無い記憶が残っていただけに嬉しかったです。思惑通り、夏の楽しさを実感でき、夏嫌いの気持ちが解消された気がします。ちなみに今年ヨットハーバーに行った友達に聞いたところ、ゆったり座りながら見えたとのことで「来年は一緒に行こう」と話しています。
私としてはなんやかんやで楽しめた花火大会でしたが、今回から変更された主催者側の取組が波紋を呼んでいます。それは有料観覧席を前回より1万席程多い5万席にしたのに併せて有料席と道路の間に高さ4メートル、長さ2キロに及ぶ目隠しフェンスが設置されたことです。これにより今までは見えていた地域の地元住民が花火を楽しむことが出来なくなりました。この記事を見た時はなぜこんなことを?と疑問を覚え、色々他に目を通してみると、別の記事では3億円の経費が掛かっており、回収の8割が有料席チケットの売上によるものとの話もあり、また近年では主要花火大会の7割が「有料化」され中には全席指定の有料化に踏み切ったケースもあると。またフェンスに関しては群衆事故を防ぐための安全対策が目的だそうです。そう聞くと「一概に否定できないなぁ」と思いはします。
ですがこのままだと地元住民からの反発は必至かと思われます。今までも地元自治体が花火大会後のゴミ問題や交通渋滞等様々な問題の解消を訴えていました。ですが自分たちも楽しんでいることもあり反対運動のような事態にまでは発展してなかったようです。一抹の不安は感じるものの、やっと再開された地元の一大イベントですので、是非とも存続して頂きたいものです。
監査部の小島です。70歳頃にはソフトボール(ハイシニア)で世界一になる予定ですが、膝が痛く走ることもままならない小島です。

2021年シーズンは、いよいよ協会に登録し公式戦が始まります。もともとは地元である守山市のソフトボール協会に登録する予定でした。しかし、一度だけ体験参加した大会での協会理事からの高圧的な物言い、協会に登録している4チームのうち3チームの年齢層が高く(60歳以上が中心)、打球の速い若いチームとの試合を嫌がるなどの理由から、お隣の栗東市ソフトボール協会への登録を決めました。登録チーム数は5チーム、年間公式戦数は6大会です。
公式戦初戦は4月でした。4チーム参加のトーナメントで、まずは1回戦が2試合行われ、その後敗者同士で3位決定戦をし、最後が決勝戦です。(参加チームを頭文字でN・K・R・Fとします。Fが私の所属チームです)試合をしていないチームから3人ずつを出し合い、合計6人で審判4人とボールボーイ2名をするようです。対戦相手はくじ引きの結果チームRに決まりました。
第1試合はチームN(年齢層60歳以上)とチームK(年齢層25~65歳)の対戦です。毎週しっかりと練習をされているチームNは60歳以上とは思えない動きをされています。でも若手も多いチームKには勝てませんでした。ソフトボールは打者と投手はもちろん、内野手までの距離が近いので、チームKの速い打球が飛ぶと少しヒヤッとする場面もありました。実際チームNからは、こんな速い打球は怖いし危険やとの声も聞こえてきました。
そして第2試合、うちのチームFと同様に今シーズンから栗東市ソフトボール協会に参戦した若いチームRとの対戦です。(年齢層17~22歳)同じ中学のソフトボール部OBが集まったチームなので強い!こちらがスリーランホームランで3点を先制したものの、じりじりと追い付かれ逆転負けしてしまいました。(小島成績2打数1安打)第3試合でチームNとの対戦が決まったところで、協会理事から相談が・・・。第3試合で先に決勝戦をして、第4試合に3位決定戦を行いたいと。うちのチームが今年からの新規加入なので文句を言わず指示に従おうと思ったのと、協会理事がチームNの方であるため何か事情があったのかと思い、試合の順序を変更してもいいですよと答えたのですがここで事件勃発。急な変更に腹を立てたチームNが帰り始めたんです。私たちの対戦相手がいなくなる・・・。2試合できると思っていたのに今日は1試合で終わり?
急な変更の影響を受けたのはこちらも同じです。段々と腹が立ってきた時には私はチームNの帰ろうとしている人のところに向かっていました。帰られるのですか?そのせいで私たちの2試合目がなくなりました。それに加えて次の第3試合の審判を全てうちのチームで出すんですか?せめて審判の3人は出てから帰ってもらえませんか?
結果、チームNの人は第3試合の審判をする3人を残して帰って行かれました。試合順序の変更で第1試合と第4試合になってしまったチームNが怒る気持ちもわかるのですが、最低限の義務は果たしてもらわないと・・・。なかなか印象深い公式戦初戦でした。
練習試合であっても公式戦であっても、試合に臨む際のチーム内の人数確保は神経質になります。人数が集まらなくて棄権となると試合ができなくなった相手チームに迷惑がかかります。また急な棄権の場合でも審判だけは出さないといけない。こういう事が前提となって成り立っているため、チームNの行動が許せませんでした。
第3試合が終わった後、チームKに練習試合をお願いしました。チームKはこの日3試合目でしたが引き受けていただき、何とかうちのチームはこの日の2試合目をすることができました。この試合もサヨナラホームランで負けてしましましたが、私自身3打数2安打3打点(2本塁打)と気持ちよく終われました。

後日、チームNは公式戦には出ないことを表明されました・・・
試合順序の変更がなぜ行われたのかは、聞いていないので真相はわかっていません。もともと順序を間違って伝えていて正したのか、それとも何か(誰か)の事情で急に変更したのか。
栗東市ソフトボール協会、どうなることやら・・・
松田事務所の荒木です。実はこの春から合気道を習い始めました。
合気道はずっと習いたいと思っていて、子どもが出来たら一緒に習う!というのが夢でした。
子どもが親の言う事をすんなり聞いてくれている6歳くらいの内から習い始めておきたかったのですが、コロナが流行り出したこともあり、感染するリスクを考えて仕方なく数年間様子を見ることにしました。
そして、コロナがだいぶ落ち着いてきているこのタイミングで、ついに道場の門を叩きました。
元々合気道に何の興味も関心も無い上に、既に少々生意気に育ってしまっている小学校3年生の息子は、体験の申込みをした後も、面倒くさい~とかダルイ~とか、ブチブチ文句を言っていました。
このままでは体験会にすら行かなくなる、という最悪のパターンもあり得ます。そこで、合気道がどれだけスゴイのかを息子に伝えてみることにしました。
手始めに、通いたい道場系列のコラム等からザっと調べてみますと、
まず、合気道は『勝ち負け』や『優劣』を競わない、というところに最大の特徴があるとのこと。今はまだのほほんとしている小学校3年生の息子ではありますが、今後は学校内でも、社会でも、他者と競争する世界が彼を待ち受けています。そんな中にあって、「誰とも競わなくていい場」があり、その場に身を置くこともできる、ということはきっといつか彼にとっての『救い』になるはずです。ということで、この特徴はめちゃめちゃアリです!
また、どうして合気道は『勝ち負け』や『優劣』を競わないのか、については、「道場で合気道を稽古するのは、自分の潜在能力を最大化する方法を会得するため」で、「誰かに勝った」とか「誰かより上手い」ということに心が満足してしまう(心が囚われてしまう)と、自分の中にある力を引き出す妨げになるからと。
では、どうすれば自分の潜在能力が最大化できるのか、ですが、それについての答えはなく、それを自分で考え、試す「実験室」が道場、ということのようです。
更に、合気道は、激しい動きを呼吸によって律し、動きながら一種の瞑想状態=トランス状態に入ったりもすることから、ヨーロッパでは「動く禅」とも呼ばれている。ということですので、稽古しながら坐禅体験もできるなんて、ほんと最高です!
・・・といった内容の事を熱く語る僕の熱意だけは伝わったと思われ(多分…)、体験会には無事2人揃って参加することができました。
体験会に行く前は、こっちは全くの素人なので、皆が本格的に稽古している横で、基本的な型を教えてもらったりするんだろうな、くらいに軽く考えていましたが・・・・全然違いました。
全くの素人とかそんな事は一切関係なく、道場では皆が同じ動きをする、ということで(うちの道場だけかもしれませんが)、いきなりのフル参加です。
合気道は、誰かとペアを組んでの型稽古となりますが、先生が皆の前で型の見本を披露した後は、誰か(基本的にはたまたま隣にいた人など)とペアを組んでの稽古開始です。が、これが難しいのなんのって・・・というか、一度見ただけでは覚えられません!て。
稽古が終わった後、思わず先生に「動きが全く頭に入ってきません・・・」「体も動きません・・・」と、泣き言を言っている僕がいました。来る前はやる気満々で、意欲も漲っていましたが、終わった後はもうこの体験だけで止めちゃってもいいかな、くらいの気持ちにまで落ちていました。
そして、息子もきっと同じ気持ちだろうな、ま、それならそれで息子が嫌がっているということを理由に止めればいいか、と思いながら「どうやった?」って聞いてみたら、「めっちゃ面白かった!また来たい!」って満面の笑みで言われ、目が点に・・・。
でもまぁ、息子のこの言葉のおかげで続けてみようと思えて今に至っているわけですし、良かったです。まだ基礎的な型すらきちんと覚えられていないので毎回四苦八苦していますが、でも、稽古が終わった後はめちゃめちゃ気持ちいいです。
普段使っていない身体を目一杯動かす、ということでの気持ち良さもありますが、1時間10分もの間、とにかく先生の動きをひたすら目で追う、組んでくれているペアの動き・呼吸に集中する、といったようなことに全神経を傾けていますので、この時間だけは頭の中が完全なオフ状態になっている、ということもあるのかもしれません。
合気道を習う前は、起きている時だけじゃなく寝ている間ですら仕事のことが頭から離れず、常にオン状態というのが日常でしたから、例えほんのわずかでもオフになる時間ができたことで、頭の中がリフレッシュされ、それが気持ち良さに繋がっている・・・ような気がしています。
合気道は、何歳になっても続けられます(先生の師匠は94歳で現役)。また、自分のペースで通えますので、今は月に2回ですが、これが年に2回となってもいいわけですし、そういう意味ではずっと続けていける習い事かなと思います。
そしていつか、自分の中にある(はずの)潜在能力というものをほんの少しでも垣間見ることができたら・・・言う事ナシです!
総務部の石田です。2020年3月M-Times Vol.9拙筆「なるようにニャる」で、夫の連れ猫「しまお」、私の連れ猫「ウメスケ」について書かせて頂いたのですが、実は「しまお」は、そのわずか数か月後に急逝してしまいました。奇しくも同年4月に発出されたコロナ緊急事態宣言により、当事務所では事務所使用を2名以下とする規制を設け、テレワークが推奨されましたので、在宅にて日々弱りゆくしまおの介護を存分に出来たのは、せめてもの慰めでした。
かくして同居猫はウメスケのみとなりましたが、実家にはまだ3匹の猫がおります。私の人生は猫とともにありました。全て元野良猫たちです。拾ったり押し付けられたり軒を貸して母屋を乗っ取られたり、出会いは色々。よほどの猫好きのように自分でも思いますが、実は・・・私、犬派なんです。(告白)
私は団塊Jr世代として、大阪東住吉のマンモス団地で幼少を過ごしました。昨今の少子化問題なぞ思いもよらず「人口爆発により食糧難で人類滅亡」などと喧伝されてた時代であり、巨大なあのコンクリート群は、今思い起こすと何かの巣のような・・・そんな密集地帯の狭小住宅で犬を飼うなど夢のまた夢。
ところがテレビでは「(新)名犬ラッシー」(1975年フジテレビ系)「炎の犬」(1981年日本テレビ系)などに幼心を撃ち抜かれ、ひとり空き地で空想のラッシーと再会する主人公を演じ、近所の悪タレに見られて大恥をかいたり。遠い存在の犬に憧れるあまり、裕福な一戸建て住宅街に飼われている洋犬たちと門越しに、飼い主さんの目を盗んで執拗に触れあっては、吠えられたり咬まれたり勝手に給食のパンやって叱られたり、ウンコ踏んで滑って転んで謝られたり。そんな私が、成人し一軒家に越してもなお、犬を諦めきっていた理由はただひとつ「うちには猫がいる」。”犬猿の仲”と申しますが、犬猫の相性の悪さは、人間ですら犬派猫派と分かれるくらいですから常識と疑いませんでした。
転機が訪れたのは、たまたまTwitterに流れてきたとあるWEB漫画です。題名はズバリ「犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい」(松本ひで吉著パルシィコミックス全7巻)歌って踊って陽気な「犬くん」と強面ツンデレの「猫さま」と暮らす愉快な日常エッセイです。ここに繰り広げられる理想郷とはよ。目からウロコとはよ。(Amazonで試し読み出来ますので動物好きな方はぜひともご一読あれ!)
「あれ?そうか、ウメスケならば、犬ともやっていけるのでは?」ウメスケは冒頭のM-Times内でも「空気読めない小僧」とコキおろしたド無神経な猫ですので、ここに一筋の光明が差し、新たなステージが幕開いたのでした。今までの猫偏重人生に悔いは無いが、死ぬまでには幼少の夢を叶えたい。私のラッシー(但し小型犬に限る:諸般の事情)を迎えたい。一大決心をしてから、まず夫を説得するのに、どれ程の大喧嘩を繰り返し、どのように手打ちをしたかは割愛。たぶん他所様からすると、ここいらが一番興味深い所と思いますが石田家の恥なので秘密♡
何とか夫の許可を得た私は、漫画と同じトイプードルの子犬を迎えました。名付けて「桃太郎」。ウメスケの「梅」との対比もありますが、「だっせ名前」と小ばかにしてきた無理解な夫とは違い、隣人の奥様は、子犬の披露がてらその名を伝えると「ああ、強い子に育ってほしいのね」と即応されました。さすが母たる人は想いを解って下さる。そして子供のいない高齢夫婦の元へやってくるのは桃に決まってるでしょ?

さて、夢の日々が始まるはずが、正直、真っ先に私のハートに突き刺さった感想は…銭ですわ銭。こんな勢いで飛んでくの!?もちろん血統書付きの子を迎える初期費用は覚悟の上ですが、今まで飼ってきた猫は元手が0円のうえ、飼育費用は1匹が2匹に増えたら2倍、3匹なら3倍、という単純な勘定でしたが、トイプー1匹で猫×5倍の体感です。やべえです。やべえと吐血しつつ子犬のためにありとあらゆるグッズを買い漁る私は、困難と長い時を乗り越えて確かに夢を掴んだ勝利者です。
桃太郎は現在8ヵ月、2.5キロ。6キロのウメスケ(決して肥満では無くただ手足胴の長いスリム巨体)に相撲を挑んでは、バチコ~ンとビンタされてキャイ~ンと泣いてます。犬と猫、夫と私の石田家のひたすら騒がしい毎日は、確かに“たのしい”です。ちなみに強硬に犬飼いを反対し、桃太郎の名をdisった夫は、私の留守に隠れて、「桃ちゃぁ~~ん♡」と猫撫で声でこっそり子犬を可愛がっていた動画を、先ごろ白状しながら見せてくれました。(写真がその動画のワンシーンです。笑)
松田事務所の荒木です。大石に子供が生まれます。予定では4月14日・・・だったかな(違っていたらごめんなさい)。この前聞いた時は子供ができる覚悟はまだできていない、と言っていました。それが本心なのかは分かりませんが、きっと不安や心配の方が大きくて『覚悟』にまでは至らないのかもしれません。というか、そもそも『覚悟』って何なんでしょうね。何となく、それって何かが起きる前に持つものではなく、コトが起きてからジワジワと出来上がってくるもののような気もします。
僕自身、親になる『覚悟』についていつ意識したのかを考えてみますと・・・・・・・・・・ああ!あの時かもと思う瞬間に思い当たります。それは、出産後に妻が退院してきていよいよ家での3人(妻、息子、僕)の生活が始まるという最初の夜でした。息子がウンチをしたので紙オムツを交換する、という場面で、どうやって交換するのか遠巻きに見ていた僕に妻が問いかけてきました。「自分も本気で子育てするって言ってなかった?」と。
勿論、僕としては子育てする気満々です!だからこうしてどうやってオムツを交換するのかもじっくり見ているわけですし・・・と思っていたら、「本気でやるつもりだったら見ているだけじゃなく、そっちから積極的にやり方を聞いてきたりするもんなんちゃうん?ただ見ているだけって、それで本気って言える?」とピシャリと言われ、受け身になっている自分に初めて気が付きました。
僕は、本気で子育てするぞ!と思いながらも、心の何処かで、赤ちゃんにとって大切なのは母親だから僕は妻のサポートを精一杯したらいい、みたいな考えがあったのかもしれません。指示があればすぐに動けるようにもしていましたし、何でもやるつもりでいましたが、それでは全然『本気』なんかじゃなかったんだと、その時かなりの衝撃を受けました。
そしてこの瞬間、初めて親になる一歩を踏み出した気がします。
それからの半年程は、今思い出そうとしてもほぼ記憶にありません。今ではそこまで母乳にこだわらなくても良かったかもしれないと妻も言っていますが、その時は、粉ミルクにできるだけ頼らない!みたいな母乳神話に駆られていましたので(妻が、母乳が豊富に出るタイプではなかったにもかかわらず、です)、夜中に息子が泣くと、妻が母乳をあげている間に僕は足りない量を補うために粉ミルクの用意をしたり、母乳+ミルクでどれだけの量を飲んだか把握できるようにダスキンからレンタルしている赤ちゃん用の体重計の用意(飲む前と、飲んだ後それぞれの体重を計り、どれだけ体重が増えたかを書く)をしたり、眠らせるために抱っこしたのはいいけど布団の上に置くと起きるので、結局ずっと抱いたままの状態で何とか工夫しながらソファーに座りながら寝たりとか・・・・そういうことをしていたなぁとボンヤリした記憶があるくらいです。
と書けば、めちゃめちゃ子育てしてそうですけど、残っている記憶の断片をピックアップしている(しかも記憶がかなり改ざんされている可能性も・・・)からそう見えるだけで、実際は妻の100分の1もしていなかったです。でも、とりあえず必死でした。妻も、僕も、そして息子も。それぞれが、それぞれなりに、必死に『生』をつかみ取ろうともがいていた気がします。
これって、各家庭によって様々で、うちはたまたまこういうやり方をやっていた、というだけのことで、しかもそれが正解だったのか間違っていたのかすらも分かりませんが、結局は、他と比較することなく、自分らなりのやり方を手探りで見つけていくしかないんでしょうね。
周りは色々と言ってきたりしますが・・・
ただ言えることは、子供が生まれるということは、今までの人生の延長線上に子供がプラスされた現実がある、というわけじゃなく、今までと全く違う人生が始まる、もっと言えば、今までと違う自分になる、ということなのかもしれません。
そういう意味では、親になる『覚悟』というのは、自分が今までの自分から新しい自分へと生まれ変わるための『覚悟』、と言えるのかも。子供が生まれるのと同時に、親である自分たちも生まれ変わる、そして新しい人生を子供と共に歩んでいく・・・・・・・のだとしたら、それってめちゃめちゃ素敵なことですよね!
って思いたいけど、現実は、日々の子育てに追われてそんな風に思える余裕が無い、というのがうちの現状だったりしていますが・・・・・・・・まぁそれはそれとして。
監査部の大石です。早いもので2月も半分以上過ぎました。昔からよく『一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。(一月往ぬる二月逃げる三月去る)』と言いますが、毎年この時季になると身に染みることわざです。1月~3月が税理士事務所の繁忙期だからというのもありますが、気持ちの面で時間が経つのを早く感じてしまいます。
さて、皆様、初詣には参拝されましたでしょうか。私は、子供の頃から初詣は家の近くの出雲大神宮(京都府亀岡市千歳町出雲無番地)という神社に参拝しています。
~京都 丹波國一之宮 出雲大神宮~
別称として「元出雲」や「千年宮」とも。
亀岡盆地東部に立つ御蔭山(みかげやま。御陰山、御影山、千年山とも)の山麓に鎮座。古くは御蔭山を神体山として祀る信仰があったとされ、社殿は和銅2年(709年)に創建されたと伝える。
「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。現在の本殿は重要文化財に指定されている。
(ウィキペディア フリー百科事典より抜粋)
出雲大神宮は、島根県の出雲大社とは別法人の神社だそうで、また一般には社伝とは逆に出雲大社から勧請したとされているということです。事実は不明ですが、何かしらの縁があったのかなと考えると色々想像することができロマンを感じます。
出雲大神宮は、お参りするだけでなく見所がたくさんあり、私のおすすめを少しご紹介します。
まずは、境内にある『真名井の水〈まないのみず〉』。昼夜問わず山から流れてくる水で、御神水として、またおいしいお水としても人気で、参拝者の方が絶えず汲みに訪れておられます。
次は、拝殿手前の道から右手に山に向かって入っていくと『御蔭の滝〈みかげのたき〉』という小さな滝があります。山の中で岩の間から流れ落ちる滝を見ていると自然と心が落ち着いてきて癒されます。ちなみに、その滝の近くにある磐座〈いわくら〉は、パワースポットとしても有名です。
最後は、おすすめというよりも御神体山である御蔭山についてご紹介したいと思います。御蔭山を少し上ると『御蔭の滝』近くの磐座とは別の磐座があり、そこも参拝することができます。但し、社務所で受付をして、たすきをもらってからでないと参拝できないということと、磐座の手前の山道は少し急な傾斜になっているので注意が必要です。私も数年前に一度参拝しましたが、境内とはまた違った山の中での参拝は厳かな気持ちになります。
冒頭で子供の頃から初詣は出雲大神宮へ参拝していると書きましたが、家から車で5分という近さもあって毎年家族で参拝するのが恒例となっていました。過去には、除夜の鐘を聞きつつ参拝することもありました。最近は、真夜中の初詣をしなくなったので分かりませんが、当時、真夜中の参拝にもかかわらず参道入口にまで行列ができるほど多くの人が初詣に来ていました。また、境内の一角に神社関係者の方が木を組み上げてキャンプファイヤーのような大きなたき火をされていて、夜の境内を煌々と照らし、幻想的な雰囲気だったのを今でも覚えています。たき火の周りには参拝者の人たちがいて、私も参拝後はつられるようにたき火を囲み、暖をとっていました。その後、参道に出ていた屋台でたこ焼きを買って帰るのも楽しみで、家族でたこ焼きをつついたのも良い思い出です。
今年は、1月8日に参拝しました。境内には、家族連れや地元の少年野球の団体さんがいたりとにぎやかな中、本殿へ参拝し、今年も無病息災で過ごせますようにと願いつつ初詣を終えました。
松田事務所の荒木です。何年、何十年か経って振り返った時、あの年は特別な年だったなと思えるような節目の年というものがあるとしたら、今年は紛れもなくその年になるのでしょう。
まずは下の写真を見てください。

これは昨年末の写真になりますが、所長の松田が個人事務所時代から昨年まで52年間もの長期に渡って行ってきていた『常勤』を昨年限りで終え、今年からは『非常勤』へと切替えることに対して、事務所の皆で何か形あるもので気持ちを表したいという思いから松田の好きなウィスキー(ボトルとラベルにメッセージをしたためて)と、花束を贈った際に記念に撮ったものです。
ただ、松田が『非常勤』になるといっても、お客さんに対しては今までとほぼ変わりませんからご安心ください。所長は勿論松田のままですし、お客さんの直接の対応に関しては各担当者が行い、松田に話があるという場合には松田がお客さんの元へ出向いて行く、という事も今まで通りとなります。少し変わるところがあるとしたら、松田でなくても税理士であれば誰でもいいというような場合には、僕が代わりに対応させてもらうようになる、という事くらいになります。
一方で、大きく変わることもあり、それは、事務所内の体制となります。今までも少しずつ松田は自分の影響を薄めていっており、何かを決める場合でも、基本的には皆で話し合って決め、松田には最終的に決まった事を報告する、という『事後報告型』が最近の主流となっていました。しかし、今年からはその報告すら一切必要なし!となったわけです。これって、「決める」ということ自体は今までも自分らでやってきているのだから同じ事のようにも思えますが、僕にとっては少し違ってきます。今までは松田の存在をすぐ隣に感じていたのが、今は離れたところから見守ってくれている、という感じに変わり、何となく距離を感じます。でも、その事が不安ということでは全然なく、今までは松田が側にいたということで何処か気が緩んでいたところがやっぱりあったのだなぁということを今更ながらに実感している、というわけです。
ということで、これからは今まで以上に気を引き締めていかないと、と改めて思ったのです(そう思っていた矢先にコロナに罹ってしまいましたので、気が緩みまくってるやん!と、突っ込みどころ満載ですが・・・)。
ホームページや、このエムタイムズでもちょくちょく書いていますが、うちの事務所ってほんといい事務所で、皆が自分のことはそっちのけでお客さんの事を真剣に考えていたりと、こんないい事務所は他に無いんちゃうかなと僕は思っています。僕がこんな風に臆面もなく自分の事務所の事を自慢できるようになったのは、今では事務所全体の姿を外から見られるようになったから、というのがあるのかもしれません(以前は、事務所の中の一員として中からしか事務所を見られていなかったので、事務所の自慢=自分の自慢みたいに感じて、自慢する事を何となく気恥ずかしく感じていました)。
とにかく、そういうスゴイ事務所が今後も色褪せるようなことにならないよう、いや、寧ろ更に磨きをかけて輝きを増すようにしていきたいなと、年明け早々思ったわけです(床に臥せりながらですが・・・)。
そういう訳で、令和5年というのは松田事務所にとって、そして、僕にとっても特別な年になるのです。始まりこそ、ピシっとした始まり方ではなく、咳ゴホゴホしながらのグダグダな始まり方でしたが、それもまた僕らしいか・・・
監査部の小島です。70歳頃にはソフトボールで世界一になろうと思っている小島です。
最近ソフトボールにはまっているのですが、こうなったのも地元自治会の副会長を引き受けたことが影響しています。以前からソフトボールの自治会交流戦をされていたようですが、副会長になるまで知りませんでした。というのも自治会に携わる一部の人を中心に口コミで参加者を募っていたからです。役員になった事で出てみないかと声がかかり参加することになりました。下投げのスローピッチ(山なりのゆっくりした投球)で行う老若男女入り乱れた混合チーム同士の試合。そこで打ってしまったんです・・・ホームランを。それも3打席連続で!
私は野球を小学校5年から大学まで続けていたのですが、その野球の勘は錆びていなかった。(体重が増えた分、パワーも増大した感じでした。ただその分腰のキレは無い・・・)
翌年もまた同じ時期に交流戦するとのことで、去年のメンバーに声掛けしたのですが高齢であることや体調を理由に不参加だらけ。そこで当時の自治会役員の若手数人と地元少年野球の保護者を集めて参加しました。そこでまた打てちゃったんです、ホームラン。外野フェンスまでの距離が近い分、ソフトボールでは比較的簡単に柵越えできるんです。他の若手も打ちまくりで大盛り上がり。ユニフォームを揃えて参加している他のチームを見た自治会長の提案で、うちの自治会もユニフォームを作ろうという事になりました。それに加えて、これまでの交流戦では相手チームに借りていたヘルメットやバット等の道具も、この機会に自治会で購入してもいいと言われました。そこまでしてもらえるのに交流戦だけではもったいない、もっともっと活動しようということでうちの自治会にソフトボールチームが誕生しました。『浮気スキッパーズ』の本格始動です。初期のメンバーが自治会役員と地元少年野球の保護者が多かったので、自治会名の『浮気』と地元少年野球の『ジュニアスキッパーズ』を合わせて命名しました。(※浮気は「うわき」ではなく「ふけ」と読みます。)
交流戦で対戦した隣の自治会は市のソフトボール協会に登録して活動していることを聞きつけ、練習試合をしていただく事になりました。今度はスローピッチではなく本格的な試合です。ピッチャーもテレビで見た上野投手(ソフトボール女子日本代表)のように腕を回して投げてきます。
その試合を通じてソフトボール特有のものを教えてもらいました。野球との違いが色々あるんです。
①ウインドミル投法・・・腕を大きく一回転させる投げ方
②ライズボール・・・ピッチャーの球種の一つで、ボールが浮き上がる
③スラップ・・・バッターボックスで走り出しながら打つ
④テンポラリー・・・ツーアウトでキャッチャーがランナーでいる場合、代走が送れる
(キャッチャー防具をつけて次の回の守備にスムーズに向かうため)
⑤リエントリー・・・スタメンで出た人がベンチに下がっても、1回だけ再出場ができる
私はキャッチャーで出ることが多いので、④が大好きです。ツーアウトでヒットを打ってランナーになった時や、もともとランナーでいる状態でツーアウトになった時、④を適用すると次の守備に備えるためにランナーを交代してもらえるんです。走らなくていいケースが多いのはかなり楽です(笑)
初年度の2020年は練習試合と自治会交流戦で合計12試合でした。
個人成績は・・・30打数15安打16打点 打率.500 ホームラン2本。
2021年は参加チーム数やソフトボール協会の雰囲気を吟味し、地元守山市のお隣である栗東市ソフトボール協会に加盟することを決定。初めて公式戦に参戦するシーズンの始まりです。
つづく