松田事務所の荒木です。うちの事務所では、年に1度、10月の初旬に2日間かけて事務所の今後のアレコレを話し合う、という機会を設けています。
基本的にこのタイミングで事務所の中期経営計画を立てていたこともあり、この2日間の話し合いのことを「中経(中期経営計画の略)」と呼んでいます。
しかしここ数年は、2日間を使って話し合うべき議題が次から次へと出てきていたこともあり、落ち着いて中期の計画を立てるという事が出来ていません。
それにも関わらず「中経」と呼ぶのは本来ならばおかしいのですが、昔からずっとそう呼んでいることもあって「2日間の話し合い=中経」というのが事務所の中では定着しています。
そして(ようやく本題ですが…)、今年もその「中経」をやってきました。
やりました、ではなくやってきました、と言っているのには訳がありまして、実は今回は「中経」の中に慰安旅行を組み込んで、泊まりで「中経」を“やってきた”のです。
慰安旅行に行くことに関しては、今まで何度も会議の議題には挙がっていたのですが、時期がどうの、場所がどうの、家族がどうのと、何だかんだでこの数年間先延ばしになってしまっていました。
そこで、慰安旅行を「中経」に絡めたらもしかしたら長年の夢が叶うかも!と思い、子育てをしながら在宅勤務をしてくれている大石の住まいの近く(彦根)に宿を取る、という全員参加可能な慰安旅行&中経プランを会議でプレゼンしたところ、見事に採用を勝ち取れた、というわけです。
さて(ここからが本当の本題かも…)、今回の「中経」では何をしてきたか、ですが、「松田事務所がどういう事務所であってほしいのか」を改めて各自に見つめ直してもらう、ということをやってきました。
9月末をもって原が事務所から去ったことで、現場は小島・大石・石田・亀山・僕の5人体制で回していくことになりましたので、一致団結するためには、もう一度原点に立ち返るところから始めないと!と思い、このテーマを選んだわけです。
しかし、ここで皆が全然違う方向性のことを言いだしたら、一致団結どころか空中分解の可能性もあるやん!と思い始めてからは、ドキドキしっぱなしでした(「中経」前夜はほぼ寝られず、でした…)。
ところが、何かに導かれて集まったメンバーだからなのか、それともたまたまなのか分かりませんが、結局は、皆がほぼ同じ方向を向き、同じ様な想いを抱いていた、ということが判明し、話し合いは意外なほどあっさりと終わりました。
で、どんな方向性・想いなのかといいますと、事務所に縁があって関わってくれているお客さんに対して、本気で自分の「家族」のように思い、心配したり悲しんだり喜んだり、といったようなことが当たり前のように出来る事務所でありたい、という想いになります。
こういうことって誰しもがそう思っている部分はありますので、一番のポイントは、それがどの程度なのか、という『程度』の問題になるかと思います。
しかし『程度』というものは目に見えるものでもなく、また、どう感じるかは人それぞれになりますので、『程度』をどう判断し、高めていくのかは非常に難しい問題です。
例えば、こちらとしては決して「他人事」とは思っていなくても、当事者であるお客さんから「所詮他人事なんでしょ」という風に思われる場面に遭遇したとすれば、そのお客さんにとっては「本気」の程度が全然足りていなかった、ということになりますので、それ以降は本気度を更に高める努力・工夫が必要となります。
というように、実体験を積み重ねながら、日々コツコツと高めていくしかないのです。
また、お客さんのことを本気で自分の「家族」のように思う、という想いをただ持っていてもそれだけではあまり意味がありませんので、その想いを持ちつつ、お客さんに対して何が出来るのか、ということをお客さんごとに考えていく、ということをやっていくことになります。
ただ、M-Times Vol.3(「自計化」ってほんまに必要?)でも書きましたが、起票・記帳等及び会計ソフトへの入力等、自社の業績を把握する基となる作業に関しましては、自社内で出来るようにしておいた方がいい、ということが基本となります。
ですから、僕達にできることは、そのための仕組み作りです。
そうは言っても、中にはどうしても自社内では不可能なケースや、廃業を見据えているため等の理由で自社内の体制を整えていく必要性がほぼ無いというようなパターンもあるかもしれません。
お客さんによって事情や状況は様々となりますので「お客さんごとに考えていく」ということになるわけです。それにしても、お客さんのことを本気で自分の「家族」のように思う、という想いを持つことだけでもすごいことですが(多分…)、更に、お客さん一人ひとりの事情等に合わせて何が出来るのか、ということまでも当たり前のように考えていけるようになったとしたら、
ほんと最高過ぎます!!!
準備中…
監査部の亀山です。遅ればせながら、9月3日に大阪万博に行ってきました!開幕当初から行くと決めていて楽しみにしていたのですが、やっと足を運ぶことができました。感想を一言でまとめると「めちゃくちゃ楽しい」と「めちゃくちゃしんどい」が51:49。しんどさの理由は、暑さや行列よりも、想像以上に広い会場です。地図を読めない私は「ディズニーリゾートくらいの規模だろう」と考えていましたが、完全に甘かったです。昼過ぎには限界寸前でした…。
朝9時に西ゲートから入り、入ってすぐの国内企業の「未来の都市」というパビリオンに入りました。様々な企業の最先端技術が詰まっているそのパビリオンの近未来感に、万博すごい!と心が躍りました。その後お土産屋さんを見て、ミャクミャクと写真を撮り、楽しいなあと満喫していた10時ごろに「もう半分くらいは見た?」と兄に聞くと、驚くことに「まだ1/4も見ていない」とのことでした。メインエリアである、大屋根リングの内側のエリアにまだ入っていませんでした。我が家の今回の目標は全エリアへ足を踏み入れることでした。歩いた距離とは裏腹に、まだほとんど何も見ていないに等しかったです。
心が折れそうになりながらも気合を入れて、いざ海外パビリオンへ。しかし予約は取れず、「イタリア館6時間待ち」。建物を外から見て回り、待たずに入れそうなパビリオンがあればその都度入っていくことにしました。
いいのか悪いのか天気に恵まれ、カンカン照りでとても暑い日でした。朝からひたすら歩いていたので、昼前にはもう足が棒のようでした。
マレーシアのロティチャナイ(薄いナンとカレー)とマルタのフティーラ(サンドイッチ)を買って食べ、首には氷のうを当て体力を回復。なんとか歩き続け、人が並んでいないコモンズDを発見しました。ここはブータンやマリ、モンゴルなどの25か国がそれぞれのブースを出しているパビリオンです。民族衣装や楽器に直に触れられ、お面や宝石などのお土産も買うことができます。入っただけでも異国感がありわくわくしましたが、やはり初めてみる楽器に触れられたのが自分は楽しかったです。
次に行ったのはフランス館でした。1つくらいは人気のところへ行こうと意を決して並びました。この時13時過ぎで40分待ちでした。体力は尽きかけ、並ぶのもやっとでした。ところが一歩中に入ると、ロダンの彫刻やルイヴィトン、ディオールの展示が目の前に広がりました。その素敵な世界観に、疲れを忘れ一気にテンションが上がりました。あとから調べたのですが、室内にあるロダンの彫刻は本物が置かれていたみたいです。これぞ万博ですね。
その後はUAEなどいくつかの並ばずに入れるパビリオンを経て、今回の我が家のメインイベント、ヘルスケアパビリオンのリボーン体験へ。こちらは2か月前予約で取れた、1番行きたかったパビリオンです。からだの健康測定→2050年の自分が生成される→企業ブースで健康を学ぶ→2050年の自分がパレード、といった流れの体験ができるパビリオンです。
入るとまず自分のからだ年齢が測られます。最新のカメラや機器が置いてあるブースへ入り、5分ほど機械の言うとおりに動きます。すると、髪、肌、視覚、脳、歯、筋骨格、心血管のそれぞれのランクと総合的なからだ年齢が出てきます。次のブースへ移動すると、先ほどのからだ測定の結果をもとに2050年の自分の姿が生成されます。出てきたのは、本当に自分なのかよくわからないおばあちゃんでした。それが終わると、健康のための最新技術を持っている企業ブースを回ります。健康になるためのお土産をもらったりヒントを得たりして、2050年の自分のアバターの健康度を上げ、成長させるのです。すべて回った後は、2050年の自分が躍っているパレード映像を見て終了です。最後のパレード映像は誰が誰だかわからずみんなでげらげら笑いました。自分の健康度合いがわかり、最新技術にも触れられ、とても楽しいパビリオンでした。
ちなみに、計測された自分のからだ年齢は33歳でした(現在25歳です。)。さらにちなみに、母親のからだ年齢は36歳でした(50代です。)。こんなに早く人生の目標が「健康」になるとは思ってもいませんでした。
日が暮れてきてからはもう大変でした。足は全く歩けないほどに痛く、エネルギーも完全に切れてしまいました。それでも、回れるだけ回っておかねば、の一心でトルコやスペイン、バングラデシュなど各国のパビリオンに入れるだけ入り、大屋根リングにも上りました。帰りのバスを待ちながらドローンショーも見ることができて、大大大満足の1日でした。

楽しくて、1回目の万博が9月になったことを悔やみました。万博を1日で制覇しようなんて無謀だったなあと痛感しました。気がついたら、帰りにあと2回分のチケットを予約していました。次回は一つ一つをもう少し余裕もって見て回れたらなあと…。あと2回の万博で、食を堪能し、ガンダムやアメリカなど人気で行けていないパビリオンに行けるようにもっともっと計画を練って行ってこようと思います!わくわく!
だんだんかわいく見えてきたミャクミャク(亀山作)→
総務の石田です。毎年7月に、福井県の「越前みなと大花火」を観覧しています。越前海岸は、急峻な山々を背にした南北に細長い一帯であり、会場は漁港を臨む広場。水上から打ち上げられた花火は、観覧者たちの頭上にまで到達し、座る位置によっては、火薬の炸裂をほぼ仰向け状態で見上げることになります。13,000発を20分足らずで打ち上げてしまうのですが、クライマックスに浴びる連発花火は天上を覆いつくす黄金のオーロラ。胆の小さい私なんぞは、感動を通り越して、恐怖を覚える程です。
さて、今年は趣向を変え【越前みなと大花火2025特別企画 船釣り体験&花火鑑賞】なるものにエントリー致しました。イカも魚も狙う欲張りプラン、お一人9,000円です。そして無料駐車場の確保が大変ありがたい。例年のように、花火開始の何時間も前から場所取りに奔走しなくて済みます。

さて当日。釣り参加者120名満員御礼、漁港には、ずらっとイカ釣り漁船が集結し壮観です。早めに受付を済ませたものの、なかなか割り当てられた船が見つけられず、係員に小走りで案内して頂き、時間ギリギリで乗船。
気さくな船長と、隣合わせた福井市からのご夫婦と、のんびりお話しながらの出航。毎年この「花火&イカ釣り」に参加されてるご夫婦から、たいして沖には出れない(花火鑑賞のため)こと、さらに花火の音や光のせいで、釣果は期待できないことを聞かされ(でしょうね…)とやや気落ち。テンションダウン。いいもん。花火クルーズのがメインだもん…。
などと拗ねつつも、船長から丁寧に竿の使い方を教えて頂いたらイカ釣りスタート。とはいえ、まだ日没前、アタる気配も無く、早々にやる気をなくして竿を置き、吹き抜ける海風と心地よい揺れに身を任せ、夕日に輝く海原眺めつつウトウト――やがて日が落ちると、イカ釣り漁船たる骨頂、まばゆい白ランプが一斉に灯ります。さ~て。そろそろ本気出しますか…。と、ド素人が再び竿を手に。水深45m。錘が着底するまで糸を垂らし、そこから5m巻き上げた辺りから、しゃくりつつ上げていきます。船内には10名ほどの老若男女。ゆるやかな波にギィと船の揺れ軋む音。沿岸の花火だけを待つ空気の中。竿先の揺れが、アタリか波によるものか、目視での判断に自信が無い私は、糸に指を触れたままにしていて、その糸へ微細なコツコツ突つく振動を感じました……ん?もしや?エイっと一気にリールを巻くと――やった!船内初の釣果です!小さめのマイカ。「来てるぞー!」船の雰囲気は一変します。そこからは、ま~つりだ♪祭りだ祭りだ豊漁ま~つり~♪

無類のイカ刺し好きの夫も、無事一匹目を釣り上げた辺りで、花火がドドーン。テンションMAX!?かと思いきや、実はここからが本題。花火どころでは無くなるのです…ッ。【以降、虫嫌いは閲覧注意】 ちょうど釣れ始めた頃、不気味に、ぴたっと風が止みました。最初は目の前を飛ぶ数匹でした。うざいなあ、と手で払い避けながら、イカを釣り続けることしばし、突如として、猛烈な羽蟻の群れが襲ってきたのです。15~20mmの巨大な蟻。汗に濡れた襟から裾からシャツの中、髪の毛の中、ギャーと叫ぶ口の中にも入ってきます。阿鼻叫喚。夫婦二人で食うには十分過ぎる程釣れたので、黒ゴマの如くまぶされたマイバッグから羽の悪魔どもを掻き出して、氷とともに厳重にイカを保守、後はひたすら群がる蟻との闘い…。
他の漁船はというと、おそらく釣果が無いまま花火が始まったからか、早々にランプを消灯し、花火鑑賞へ専念している船もありました。その分、こちらに悪魔が集中しているのでは…ッ。が~え~り~だ~い~と涙ぐむ私に、船長が微笑みます。「時間内に帰っちゃうと(漁協に)怒られるんよね~^^」――20:20で終わった花火の後、スケジュール通りきっちり21:30まで羽蟻地獄でした。
越前かにかにファンクラブ会員としてフォローすると、羽蟻の襲来は、特殊な条件下での自然現象らしく、めったに起きない?そうです。信じるか信じないかはあなた次第。ビバ、越前イカ釣り花火!(いまさらAmazonで全身用の虫防護ネット服見つけました…これだッ…!)
松田事務所の大石です。今年も早いもので半分が過ぎました。早いと言えば、今年の近畿の梅雨明けは例年より3週間ほど早かったようです。梅雨はジメジメして洗濯物も乾きにくいため梅雨明けはうれしい反面、水不足が心配になります。
さて、7月の初め、所用で午前中だけお休みをもらいました。思っていたより短時間で済んだので、どうしようかと悩んでいると、そういえばここ2年程多賀大社へお参りできていないなと気づき、久々に一人でゆっくり参拝しようと車を走らせました。(ちょうどエムタイムズの当番でもあったのでネタにさせてもらおうという下心もありました(笑))
多賀大社は、滋賀県犬上郡多賀町にあり、名神彦根I.C.から車で10分のところにあります。
御祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)。
~由緒~『古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉なども見事で、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、年間約170万人の参拝者を迎えています。』(多賀大社HPより抜粋)。
平日ということもあって、境内に人はまばらでした。蒸し暑さはありましたが、木々に囲まれているせいか不快というほどではありません。手水舎で手と口を清め、拝殿でお参りをした後、境内を少し散歩しました。すると、先ほどの手水舎の向かいに、大きなしゃもじの石像が。これは「お多賀杓子」と呼ばれるもので、話は奈良時代に遡ります。『元正天皇の病気に際し、当社の神主が強飯(おこわのことです)を炊き、しでの木で作った杓子を献上、天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木(多賀町にある2本のケヤキの巨木のことだそうです)で、杓子は、「お多賀杓子」として有名です。』(多賀大社HPより抜粋)この石像の近くには、このお多賀杓子をかたどった杓子絵馬が絵馬掛けにたくさん結ばれていました。また、一説によると、蛙の子を「おたまじゃくし」というのは、蛙の子の形がこのお多賀杓子に似ていることからとか。

境内の散歩の後、次は表参道を歩きました。この表参道は、「多賀大社表参道絵馬通り」と呼ばれ、ここには、名物和菓子「糸切餅」があります。この糸切餅は、「本家本元 多賀や」さんと「糸切餅元祖 莚寿堂本舗」さんが、それぞれ製造販売しています。この日は、莚寿堂本舗さんが定休日だったので、多賀やさんの糸切餅(右写真)を購入しました。青と赤の線の入った見た目が可愛いお餅で、口に入れると外側のモチモチとした食感に、中の程よい甘さのあんこが合わさり、とても美味しい和菓子です。実は、数年前に多賀やさんと莚寿堂本舗さんの糸切餅を食べ比べたことがあるのですが、同じ糸切餅でも少し味が違った記憶があります。今回も、食べ比べをしようと思ったのですが、それは次の機会に。
短い時間でしたが、久々の参拝で良い気分転換ができました。
松田事務所の荒木です。かなり昔の話となりますが、M-Times Vol.2 では「月次巡回監査」の意義みたいなことを書いていました。
そもそも「月次巡回監査」とはどういうことかと言いますと、お客さんのところへ基本的に月に一度行かせてもらい、会計ソフトに入力された内容とその基となる資料を突合したり、処理が行われた意図を確認する、といったようなことをします。
そしてその結果出来上がった月次の損益を見ながら今期の着地点を話し合ったり、ちょっとした困りごとの相談等を受けたりすることを言います。
では、そのM-Times Vol.2 で「月次巡回監査」の意義についてどのようなことを書いていたのかをザックリまとめてみますと、次のようになります。
| お客さんのところへ月に一度は行くことによって、 どんなオフィスで、どんな従業員がいて、どんな雰囲気でみんなが仕事をしていて・・・ というような会社の雰囲気を肌で感じることができる“はず”なので、 月次で締めた損益の結果を見ながら社長と話す際でも、 単なる数字の比較等ではなく、数字の背景にあるものを感じ取った上での言葉ということになり、 僕たちからの言葉を受取る側である社長の中にもすっと入ってくる“はず”・・・ |
|---|
これ、書いたのは2019年なので今から6年前になるんですね・・・
しかし、今読み返すとかなり小っ恥ずかしいものとなっちゃってます。
この当時は、お客さんのところへ行かせてもらうのを「当たり前」のことだと思っていたのかもしれません。
ですから、実はその前段階に大切なことがあるにもかかわらず、そのことには全く触れずに、それを素っ飛ばして次の段階の話をどんどん展開していく、というようなことをしちゃってるわけです。あ~情けない。
「基本的に月に1度、お客さんのところへ行かせてもらう」・・・
これって、よく考えたらすごい事なんですよね。
そのためにお客さん側は、時間と場所、資料等(場合によっては食事、茶菓子等も)を用意してくれているわけですから。
自宅をオフィスにされているお客さんにとってはこれに掃除等も加わり、更に「用意」のレベルが上がることになっているかもしれません。
だからまずはそのことに対する感謝の気持ちを持つこと。
そしてそれと同時に、対応してくれる社長、幹部社員、経理担当者等と、
「【良い時間】を共有できるようにする」という想いを持ち続ける、
ということが大前提としてあるはずなんです。
そんな大事なことを素っ飛ばしていたとは・・・
ほんと何を語っちゃってたんだろうとめちゃめちゃ反省です。
ところで、お互いにとっての【良い時間】とはどういうものか、それってどうやって構築していくものなのか、ですが、これがなかなか難しいです。
きっと正解の無いものだと思います。
ですから、
常にアンテナを張っておき、相手に過度にストレスを与えてしまっていないか、こちらの言動が威圧的になっていないか、自分の都合を押し付ける結果になっていないか等くらいは、少なくとも気を配っておく必要があるのでは、と思います。
その上で、使わせてもらっている会社の設備・備品や見せてもらっている書類等の扱い方であったり、頼まれた事に対する返事や対応の仕方であったり、
または言葉の端々であったりと、
そういったほんのちょっとしたことから【良い時間】の共有への想いはにじみ出てくるものだと思います。
これらは基本的なことになりますので、ここから更に、相手に合わせてもう少し踏み込んだところまでアレコレ感じたり、考えたり、実践してみたり、といったことが出来るようになれば言う事ナシかもしれません。
が、ここまでのレベルになりますと「言うは易し行うは難し」となってきますので、出来る・出来ないは一旦置いておいたとして、そういった意識を持ち続ける、ということをまずは徹底できればなと思います。
ということで、
今更になりますが(ほんと、今更ですみません・・・)M-Times Vol.2 で熱く語った「月次巡回監査」の意義の大前提として、
「お客さんのところへ行かせてもらう」ことへの感謝と、
「お互いにとって【良い時間】を共有できるようにする」という想いを(各担当者それぞれのレベルで)持ち続ける、
ということを誰もが自然にできているような松田事務所でありたいと思います!
私は日ごろからかなりの安全運転をしているので、オービスなど全く気にする必要はありません。高速道路でもスピードは出さないので、ルームミラーで警察車両をチラチラ確認する必要なんて…まぁほぼありません。高速道路でパトライトを点灯させた警察車両に追尾されたのは、わずかに2回という安全運転っぷり!2回ともパトライトがついた瞬間に減速したため速度計測ができなかったのか、並走されてマイクでの注意だけで済みました。病気も警察車両も早期発見がポイントですね。(ルームミラーで、こまめに後方チェックしてなかったら気づかなかったはず・・・)
そんな安全運転な私、監査部の小島が1年ぶりに妻の実家に帰省した時の話です。

5月3日から6日までを鳥取県の妻の実家で過ごす計画で、なるべく渋滞しそうな時間帯を避けようと5月2日の21時に出発することに決めました。夜に走るとなると色んなものが見えにくくなるなと考えていると、あることが頭をよぎりました。「そういえば、最近は“移動式オービス”が増えているらしい」と。
以前は、オービスといえば“固定式”が主流だったと思います。高速道路を走っていても、「速度取締中」といった案内板が事前に2か所設置されており、こちらもそれを目印にスピードを調整するという、ある意味“事前予告付き”の取り締まりでした。ところが最近では、その固定式が徐々に姿を消し“移動式”が増えてきていると聞きます。京滋バイパスや名神高速道路では“半固定式オービス”の設置がされています。“半固定式オービス”とは、1台のオービス本体(移動式オービス)に対し、本体をセットするための拠点(箱型の筐体)(右図)を複数か所に用意しておくタイプのオービスです。
安全運転の私にとっては運転になんら影響を与えるものではないですが、暗い夜道で万が一見落としてマズいことになったら・・・ということで、息子が探してくれた『オービスガイド』というアプリをスマートフォンにインストールしてみました。(あくまでも念のためです)
このアプリ、走行中にオービスの位置を音声で教えてくれる優れモノでして、実際使ってみると非常に便利でした。「移動式オービス目撃ポイントがあります」「この先にNシステムがあります」「ETCカメラがあります、オービスではありません」と、通知音とともにオービスなのか、オービスではないものなのかまで案内してくれるのです。アプリには取締情報を投稿でき、その投稿されたリアルタイム情報を読み上げてくれる機能も付いています。ただ、その情報が少々過剰なことも・・・。

「ネズミ捕りが投稿されました。北海道札幌市白石区周辺です」
今は兵庫県を走行中やし、遠すぎるとこの情報いらん!
「検問ポイントが投稿されました。長崎県長崎市花丘町周辺です」
「移動式オービスが投稿されました。埼玉県さいたま市浦和区周辺です。」
通知音が鳴って、今度はどこや?と思ったら
「22時を過ぎました」
しらんやん!通知音がいちいちビックリすんねん!
アプリは便利ですが、通知のたびに「今度は何?!」とツッコミながらの深夜ドライブは、なかなかスリリングでした。おかげで睡魔に襲われず、0時30分に無事到着。
色々な意味で安全に運転するため、このようなアプリを利用されるのもいいかもしれませんね。とはいえ、“アプリに頼らなくてもいい運転”が一番の理想ですね。安全第一でいきましょう!
《京都近郊の主な半固定式オービス拠点設置場所》
監査部の原です。今年の6月、任天堂からついに新しいゲーム機「Switch2」が発売されると知り、子どものころから任天堂のゲーム機をやりこんできた私としては、「今度はどんな進化を見せてくれるんだ」と、胸がふくらみました(財布の中身はしぼみますが)。
そして4月2日に発表された内容を見てみると、携帯できるゲーム機としてはまさに「完成形」。初代スイッチの時にも思ったのは内緒です…。期待していた以上の性能で「これは…欲しい…買うしかない…!」と、物欲ゲージが一気にMAXになりました。
が、しかし。ここでふと頭をよぎるのが、「どうせまた転売屋に持っていかれるのでは…?」という苦い記憶。新しいゲーム機が出るたびに現れる、買い占め集団。気づけば店頭の棚にはsold outの赤文字が並ぶばかり。普通のお店で正しく買えた試しがなく、「またか…またなのか…」と、思わず心の中で天を仰ぎました。
価格についても悩ましいところ。海外と同じ価格設定にすると、日本では「高っ!こんなの手が出ない」となるし、日本だけ安くすると、今度は「お買い得!日本で買って海外に輸出しよ」と海外の転売屋が爆買いに走るという悪循環。私はこの時点で「これはもう…発売日ゲットは無理ゲーか…」と、ゲーム機を手に入れる前に心がゲームオーバーになりかけていました。
しかし、です。その同じ日の発表で、任天堂さん、ついにやってくれました。転売対策、バッチリ用意してきたのです。まず価格設定にひと工夫。「日本語版」と「多言語版」に分け、それぞれ約5万円と7万円という差をつけています。しかも、日本語版は表示やアカウントの設定がすべて日本語オンリー。海外の人が使おうとすると、「これ、なんて読むの?」状態になります。
私たちの感覚で言えば、スマホを買ったら、言語が全て英語固定で、設定もアカウントも全部海外用。「安いのはいいけど、なんかもう…めんどくさ!」となってしまうでしょう。しかも日本以外で使用していると保証の対象外。こうなると、わざわざ日本で買って海外に持ち出すうまみは激減。転売屋にとっては「えっ、扱いにくっ…」な展開です。(そうなってくれと願うばかりですが)
さらに、真打ちとも言える対策が「抽選販売」です。任天堂の公式オンラインストアでは、早い者勝ちではなく、申し込みによる抽選制。その上で参加するには、なかなか骨のある条件が課されています。
ひとつ目の条件は、令和7年2月28日時点で、Switchのゲームプレイ時間が合計50時間以上あること。「最近始めました!」では間に合わず、地道に遊んでいた人こそ報われる仕組みです。
しかもこの条件、発表されたのが4月2日。そう、発表されてから頑張っても、もう「時すでにおそし」。
ふたつ目の条件は、「Nintendo Switch Online」という有料サービスに、1年以上継続して入っていること。これは、インターネットを使って友達と遊ぶときなどに使うサービスで、毎月お金がかかるため、“遊びこんでいるプレイヤー”しか対象になりません。
一部では「条件厳しすぎ!」という声も出ているようですが、逆に言えば、本当に欲しい人の元に届くように考えられている、ということでもあります。
さらにさらに、ゲーム機本体だけでなく、コントローラーやSDカード(データを保存するやつ)といった周辺機器も、例によって買い占めの対象になりがちです。でも、そこにも対策が。抽選に当たった人が、周辺機器も優先して買えるという、安心設計になっています。
これまでいろんな企業の転売対策を見てきましたが、ここまで手厚いのは初めて。「任天堂、ガチだな…!」と、思わず拍手を送りたくなりました。
もちろん、公式ストア以外の家電量販店やネット通販(Amazonなど)では、それぞれの販売ルールで売られるため、すべての買い占めが防げるわけではありません。でも少なくとも、条件を満たした人は「そのうち買える」という希望が持てるので、焦らず気長に待てるのが救いです。
……とはいえ、「できることなら発売日に手に入れたい!」という気持ちはなかなか捨てきれません(笑)
監査部の亀山です。入社から半年が経ちました。1月から勉強のために監査に同行させてもらうようになり、何度かお会いした方もいらっしゃるかと思います。同行の最初の頃はどうしていいのか全くわからず、かなり緊張していました。しかしお会いした皆さんが、私が入社時に書いたエムタイムズを取っておいてくださったり、そこに書いていた趣味の話を訊いてくださったりと、温かく迎えてくださったおかげで緊張はすぐに解けました。毎日新しいことを学ばせてもらえる環境で、入社してこれまで本当に楽しく過ごしています。
さて、話は変わりますが4月といえば、皆さんはなぜ学年が4月2日~4月1日で区切られているのか気になったことはありませんか?私は知らなかったので、気になって気になって調べたことがあります。
というのも、私は誕生日が4月1日で、学生時代に学年の最後であることが不思議で仕方がありませんでした。1学期は4月1日から3月31日なのに、なぜ学年の区切りは4月2日生まれから4月1日生まれなのか、全く理由がわからず長年もやもやしていました。また4月生まれなのに、なぜか早生まれで、他の4月生まれの人より1年損していると思っていました。
学年の最後ということで、他の同級生よりほぼ1年遅れており、他の4月生まれが立って歩いているときに生まれ、他の人が7歳になるかというときに6歳になりたてで小学校に入学し、19歳で成人式を迎え、20歳になりやっと成人だとお祝いしているときには、もう他の同級生たちは20歳の成人お祝いムードが終わっていました。人生の節々のお祝いが自分の誕生日のタイミングと違うために100%楽しめず少し寂しいなあ…ということがたくさんありました。
また、小学生の頃は当然ですが、体が小さく背の順ではずっと前の方でした。後ろの背の高い人たちが大人っぽくキラキラ輝いて見えていました。さらに4月1日は年度初めということもあり、学校は春休みで、新しい学年を迎えた後、みんなと仲良くなるころには誕生日が終わっていました。5月ごろにみんながクラスに馴染んで、仲良くなってから誕生日を迎えてお祝いしてもらっている友達をうらやましく思っていました。これは長期休みに誕生日がかぶっている人や4月生まれあるあるかもしれませんね(笑)
とはいいつつも、学年の1番最後でレアな誕生日、ということに謎の優越感?特別感?を覚えており、なんだかんだ自分の誕生日が好きでした。
しかしずっと謎が残っているもやもやを晴らさねば、と高校生くらいのときに思い立ち調べたところ、2つの法律によって規定されていることを知りました。(内容は詳しく覚えておらず、ここに書くために再度調べました…笑)
1つ目は、学校教育法第17条第1項の、保護者は、子の満6歳に達した日の翌日以降における最初の学年の初めから小学校に就学させる義務を負うという規定です。
2つ目は、年齢計算に関する法律第1項の、「年齢は出生の日を起算日とする」という規定です。
以上2つの規定を踏まえると、4月1日生まれは3月31日に満6歳になり、翌日以降の学年の始まりの日、つまり誕生日の4月1日に小学校へ入ることになり、その学年にギリギリ滑り込むことになります。これを調べた時、こんなことまで法律で定められているのかと驚いたと同時に、法律を学ぶ面白さを知りました。
この、法律を学ぶことが面白いという経験が、大学で法学部を選び税理士を目指す今へ繋がっているのかもしれません。自分の誕生日が法律に関わる仕事を選んだきっかけになったのかもしれないと思うと、ちょっと面白いですね。
ちなみに、人生で一番悲しかった誕生日は、小学校を卒業したあとの中学入学を目前にした4月1日です。自転車に乗っていたところ、縁石に乗り上げ吹っ飛びました。そのとき一緒にいた兄といとこは、私がきれいに回転しながら飛んだことに大笑いしていました。右手骨折、顔面傷だらけ、前歯を折るというけがをし、行った病院全てのお医者さんに「誕生日なのにかわいそうに」と言われ静かに泣きました。
もちろん中学校の入学式の写真は、腕にはギプス、顔にはテープという悲惨なものになりました。
監査部の大石です。年が明け1月の初旬にやってきた寒波は彦根にも雪を降らせました。その後、下旬になると3月並みの暖かい日が数日続き、今年の冬は暖かいなぁ、とのんきに考えていたら2月に入って一気に真冬に逆戻り。この原稿を書いている現在、また寒波がきて1週間ほど日本に居座るという天気予報に内心戦々恐々しています。
さて、表題にある通り、1月末に運転免許の更新に行ってきました。滋賀県内での免許の更新は初めて。京都にいるときは、ほとんど京都市伏見区羽束師にある運転免許試験場へ行っていました。この運転免許試験場、南丹市の実家から行くのは遠く億劫でした。運転免許の試験を受けた時やそれ以降の数回の更新は、JRとバスを乗り継いで行きました。利用した時間帯が悪かったのかもしれませんが、そのJRとバスの接続があまりよくなく往復に結構な時間がかかりました。その後、運転に自信がついてからは車で行きました。それでも片道1時間弱。公共交通機関を使うよりも時間は短くなりましたが、毎回遠いなぁと思いながら更新に行っておりました。ですが、前回の更新時は、京都駅前運転免許更新センターができた後だったため、そちらで更新しました。センターができて数年しか経っていないこともあり、建物もきれいで、講習会場もスタイリッシュな印象を受けました。次の更新もここでしたいなぁと思っていたのですが、まさか滋賀県内ですることになるとは。
昨年の12月に更新ハガキが届いてからいつ行こうかなと思いつつ、とりあえず場所だけでも調べるかとスマホで検索すると、免許の更新は、守山市と米原市にある運転免許センターか県内の警察署となっていました。もちろん彦根市から近い米原市の運転免許センターに行くことにしました。Googleマップで調べてみると自宅から車で約15分。意外と近くて良かったと、ちょっとホッとしました。
さあ、日程を調整していざ米原へ。当日は天気が悪く、初めての場所なのでカーナビを見ながら行きました。もうちょっとで到着するというところで道を間違えるアクシデントもありつつ、無事、運転免許センターに到着しました。建物の中に入ると平日ということもあり、並ぶことなくすんなり受付へ。その受付は機械でするのですが、横に担当のお姉さんがいて、説明をしてもらいながら画面をタッチしていきます。住所等の確認や写真撮影(この写真は本人確認用の写真で免許証の写真とは別だそうです。)、暗証番号の設定をしました。前回までは暗証番号を2つ設定しないといけなかったのに今回は1つだけでした。あれ・・・?と思いつつ、受付完了後、その機械から出てきた登録カード(レシートみたいなもので、QRコードと先ほど設定した暗証番号等が記載されたものです。)を持って、案内係に誘導され、視力検査や料金の支払い、免許証の写真撮影をして講習会場へ。講習会場といっても、学校の教室を思い出すような雰囲気で、置いてある机と椅子も(かなり年季が入っていましたが。)それと同じでした。
会場の入り口でテキストをもらい、指定された席に座りました。前を見ると、講習が始まるまでの間視聴できるように、プロジェクターを使ってビデオが流されていました。その内容は最近の道路交通法の改正や、運転するにあたっての注意事項、雪道を走行するときの運転の仕方等でした。しばらく見ていると、運転免許証の暗証番号についての話も出てきました。やはり自分で2つの暗証番号を設定しないといけないようなのですが、希望者で1つの暗証番号しか設定しない場合、もう1つの暗証番号は運転免許証の一部の番号が割り当てられるそうです。そうなのか?と、先ほど受付完了後にもらった登録カードを確認してみると確かに番号1、番号2とあり、1つは私が設定した暗証番号で、もう1つは免許証の番号の一部が記載されていました。ビデオでは希望者はという前置きだったのですが、米原だけがそうなのか、それともここ最近の傾向として全国的にそうなっているのかはわかりません。実は事前に2つの暗証番号を考えていた身としては肩透かしをくらった感じです。
気を取り直して、時間になり講習が始まりました。最初、担当官の説明があり、その後ビデオが流れました。内容は、最近の改正の話や罰則改正により年々減っていた交通事故が令和5年には転じて増加傾向にあるので注意! ということ等でした。講習後、運転免許証をもらい帰宅しました。日々、運転は気を付けているつもりですが、更新の度に改めて気を引き締めねばという気持ちになります。今回は、雪道の走り方についても再度ビデオで勉強できたのでそれも良かったなと思う反面、できるなら雪道を走ることがないようにと願うばかりです。
松田事務所の荒木です。ここ最近は毎年このタイミングで同じように前年を振り返りつつ、これから始まる年に思いを馳せる、という内容のものを書いている気がします。
ちなみに昨年は、『とにかく、令和6年の今年は、あまり大きな「初めて」が押し寄せてくることのない、落ち着いた年になってくれたらいいなぁと心から願っています!!!』という文章で締めくくっていました。
さて、令和6年はその願い通りになったのかと言いますと・・・ 確かに、大きな「初めて」がどんどん押し寄せてくる、というようなことは無かったのですが、「落ち着いた年」からは程遠い年になりました。
どんな出来事があったのか1年をざっと振り返ってみますと、まず、4月からは育休中だった大石が復帰してくれました。ただ、復帰したからといっていきなり復帰前同様に働くことは出来ません。現時点では、子供を保育園に預けながら、どうすれば育児&家事と仕事が両立できるかを日々試行錯誤しながら手探りでやってくれています(こちらも同様に手探りです)。
そして8月のお盆前には、長年愛用していた原付バイク(スズキのレッツ4)がついに動かなくなってしまいました。平成17年に購入したものなので、約20年間乗り継いできたことになります。僕の場合は、前任者である前川から受け継いだわけですが、「このバイクで先生のために蜜を集めて来てるんです~」と言っていた、という事をとあるお客さんから聞いてからは、僕の中でもこの黄色のバイクが「ミツバチ」ように思えて、可愛さがアップしていました。
ですので、本当は修理して乗り続けたかったのですが、修理するのも新しく購入するのもそれ程値段は変わらないくらいの壊れ具合だったので、思い切って新しい原付バイクに乗り換えることにしました。ただ、バイクがピカピカになると、道端にちょっと止める時でも、もしかしたら盗られるかもと何だかソワソワして落ち着かなくなってしまいました。
更に10月からは、亀山が松田事務所に加わることになりました。10月からと言っても、募集自体は7月頃から開始しています。亀山の採用が決まるまでの間には、応募してきてくれた方々との間で色々なやり取りや面接等がそれなりにありましたので、この期間は、普段の仕事プラスアルファとなります。
しかも、どんな人に来てもらうことになるかによって事務所の将来がかかっているわけですから、面接するこちら側も面接される側に負けず劣らず毎回が真剣勝負です。そういうわけですから、プラスアルファと言いながらも決して仕事の片手間、という感じでは無かったのです。面接にあたっては事前に入手した情報からイメージを膨らませ、少しでもその人のことを知ることが出来るようにと入念に準備をして臨んでいました。そして面接が終わった後は、一緒に仕事をしていったとしたらどういう感じになるのか等自分なりの分析を行ってみたりと、とにかく採用が決まるまでは落ち着かない日々でした。
また11月からは、社用スマホを導入し、仕事中は各自が事務所契約のスマホを使うようになりました。今までは自分のスマホを仕事用に代用してくれていましたので、電話代を精算するのが手間だったり、プランの設定をどうするか等の問題がありました。社用スマホの導入は会議の際にちょくちょく話題に出ていたことなのですが、結局は導入の面倒くささに負けて「ま、このままでいいっか」になっていました。
が、今回は入ったばかりの亀山にそれを担ってもらう(けして面倒を押し付けたわけでは・・・)ことで実現させることができました。皆は自分のスマホとは別に社用スマホを持つこと(スマホ2台持ち)にしたのですが、僕は、今まで使っていたスマホからの切り替えとしたため、色々大変でした。
と言いますのも、社用スマホはauなのですが、僕のスマホはワイモバイルだったので、まずはワイモバイルからauへの切り替え(電話番号の引継ぎ)、そして、次の段階として、僕個人名義から法人名義への切り替えがあり、それらの手続きを経てようやく新しいスマホを入手することができたわけです。更に、今まではandroidのスマホしか使ったことがなかったのですが、社用スマホはiPhoneなので、使い勝手が全く違っていました。文字の打ち方から、電話のかけ方まで、戸惑うことだらけだったので、ある程度慣れるまでは全然落ち着かなかったです。
こんな感じで令和6年は事務所の体制が色々変わったり、普段愛用していたものが違うものになったりで、なかなか落ち着かない状態でした。が、これらが整ってきている令和7年こそは、落ち着いた年になってくれるのではないかと、かなり期待しています!
いや、ほんと、今年こそ頼みます!!!
総務の石田です。10月のある朝、爆音の耳鳴りと共に、左耳がほとんど聞こえなくなりました。実は二度目です。8年前にほぼ同じ症状で「突発性難聴」と診断され、その時のお医者さんに言われた「突発性難聴って生涯に一回だから。次、起きたらメニエール病確定ね。」という言葉を、飛び込んだ京都の耳鼻科で再び聞くことに。メニエールかぁ…。なんかよく聞く更年期障害的なやつ…。ぼんやり服薬治療を続けて1週間。効果が無いことを告げると「紹介状書くので入院ね。」というわけで、京都第一赤十字病院での8日間の点滴治療が決定しました。
初めての入院生活は、仕事用PC入りの大荷物を引っ提げ、おっかなびっくり始まりました。入口でまごついていると、颯爽と現れた案内係に促され、ベルトコンベアに乗ったかのような流れ作業で受付→診察→支援センターと順繰りに回らされ、あれよあれよと言う間に大部屋の一角に着。
コミュ障の私には気が重かった大部屋ですが、終日カーテンで仕切られており、ほぼ個室と変わらないようで安堵しました。隣の患者のイビキがうるせぇ(イヤホンでしのいだ)のと、看護師さんが突然カーテンを開けて容体を訊いてくること以外は…。また、当たり前なのでしょうが、一切外出禁止というのも、「いまや自由の身ならず」という拘束されちゃった感が、なんだか怖いようなドキドキするような新鮮な体験でした。
さて、主たる目的の点滴治療は、朝・晩一日2回。点滴の針って初回だけ刺したら、あとは差しっぱなしなんですね。カートリッジのようなとこを毎回付け替えるだけ。なんだか腕の一部だけサイボーグ化したみたいでワクワク。コブラ感。(©寺沢武一)さらに意外で嬉しい驚きは、三度の食事が、見た目はともかく大変美味だったこと。
度々の血圧測定・検温、服薬・点滴、そして三食上げ膳据え膳。全てを管理されて、時間通りにこなしてゆきます。この8日間、完全に“世話をされる”存在でありました。“女房役”なんて昭和の言葉は、今ならコンプライアンス違反でしょうが、実際令和の私は、我が家においては夫と猫と犬の世話をする日々ですし、職場においては、総務という雑用係として、事務所内のフォローに回る立場であります。世話をする側から、される側への逆転生活は、正直…天国でした。赤ちゃんになった気分。退院しとうない…。
閑話。家事とは、汚れたり不足したりしたものの回復であるかと思います。掃除・洗濯とか。料理も不足した栄養を補う意味では回復でしょう。消耗品・食材の管理・購入もしかり。このようなマイナスから平常へ戻す行為は、なかなか評価を受けにくい仕事です。基本無償の上、面倒臭い割に感謝されない(文句だけは言われる)となると、ストレスですよねぇ…。
入院生活では2日に一度、シーツ交換、ゴミ捨て、掃除をして下さるのですが、その間、私はボーっと突っ立ってるだけです。片耳が聞こえない以外は健康そのものですので、この持て余す身の置き場よ。産湯のごときぬるま湯の世界よ…。オンラインで可能な分の事務仕事をする以外は、ひたすら食っちゃ寝の至福の生活は、光陰矢の如し。着々と完治に至り、退院の日を迎えてしまいました…。ハァ…。
もちろん、待ち遠しき日でもありました。一週間ぶりに愛猫・愛犬と会えるのですから。猫の態度は想像がつく(離れて暮らしていた時期もあるので)のですが、犬とこれだけ長い間離れたのは初めてです。ちなみにトイプードル桃太郎の性格は、躾を失敗したせいで(涙)手の施しようがないレベルのヤンチャ坊主のド甘えん坊です。これは一世一代の感動的な場面を撮影するチャンスでしょう。まさに幼心に憧れた名犬ラッシーとの再会シーン(2023.6 M-Times拙筆「どんぶらこ~と桃来たる」参照)を本当に味わえるかもしれない!?
自動精算機の前で入院費用に気を失いかけた後、解放されたシャバは、秋も深まり凛とした冷気に満ちてました。胸をときめかせ、キャリーを引いて家路につきますと、うっかり駅の降り口を間違え、自宅へ向かうバス停と反対方向に出てしまい、引き返すか迷ったのですが、気持ちのよい晴天ですし、まぁぼちぼち歩くか~(徒歩25分程度)としたのが運の尽き。途中で股関節が死ぬ事態に。8日間の入院生活で足萎え状態だったんですね…まさに這う這うの体でなんとか自宅に辿り着き、荷物を玄関に残したまま、早速スマホを構えます。じわじわ2階への階段を上りながら撮影開始。ウメスケは予想通り「ニャ~(おかえりぃ)」と快活でしたが、ケージの中の桃太郎は、というと…吠えまくるかと思いきや、なぜか無言で狂ったようにドッタンバッタン暴れています。なに怖い。お、落ち着き給へ…。片手で扉を開けてやるなり、無言のまま(実はキュンキュンと小さな声で泣いてるのが録音されてました)怒涛の体当たり攻撃開始。最初の一撃でスマホを弾き飛ばされ、撮影は中止。抗議なのか愛なのか、全力でもって狂ったように飛びつき続ける――これがラッシーのような大型犬だったら再入院だったかもしれません。残念(笑)