松田事務所の大石です。今年も早いもので半分が過ぎました。早いと言えば、今年の近畿の梅雨明けは例年より3週間ほど早かったようです。梅雨はジメジメして洗濯物も乾きにくいため梅雨明けはうれしい反面、水不足が心配になります。
さて、7月の初め、所用で午前中だけお休みをもらいました。思っていたより短時間で済んだので、どうしようかと悩んでいると、そういえばここ2年程多賀大社へお参りできていないなと気づき、久々に一人でゆっくり参拝しようと車を走らせました。(ちょうどエムタイムズの当番でもあったのでネタにさせてもらおうという下心もありました(笑))
多賀大社は、滋賀県犬上郡多賀町にあり、名神彦根I.C.から車で10分のところにあります。
御祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)。
~由緒~『古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉なども見事で、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、年間約170万人の参拝者を迎えています。』(多賀大社HPより抜粋)。
平日ということもあって、境内に人はまばらでした。蒸し暑さはありましたが、木々に囲まれているせいか不快というほどではありません。手水舎で手と口を清め、拝殿でお参りをした後、境内を少し散歩しました。すると、先ほどの手水舎の向かいに、大きなしゃもじの石像が。これは「お多賀杓子」と呼ばれるもので、話は奈良時代に遡ります。『元正天皇の病気に際し、当社の神主が強飯(おこわのことです)を炊き、しでの木で作った杓子を献上、天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木(多賀町にある2本のケヤキの巨木のことだそうです)で、杓子は、「お多賀杓子」として有名です。』(多賀大社HPより抜粋)この石像の近くには、このお多賀杓子をかたどった杓子絵馬が絵馬掛けにたくさん結ばれていました。また、一説によると、蛙の子を「おたまじゃくし」というのは、蛙の子の形がこのお多賀杓子に似ていることからとか。
境内の散歩の後、次は表参道を歩きました。この表参道は、「多賀大社表参道絵馬通り」と呼ばれ、ここには、名物和菓子「糸切餅」があります。この糸切餅は、「本家本元 多賀や」さんと「糸切餅元祖 莚寿堂本舗」さんが、それぞれ製造販売しています。この日は、莚寿堂本舗さんが定休日だったので、多賀やさんの糸切餅(右写真)を購入しました。青と赤の線の入った見た目が可愛いお餅で、口に入れると外側のモチモチとした食感に、中の程よい甘さのあんこが合わさり、とても美味しい和菓子です。実は、数年前に多賀やさんと莚寿堂本舗さんの糸切餅を食べ比べたことがあるのですが、同じ糸切餅でも少し味が違った記憶があります。今回も、食べ比べをしようと思ったのですが、それは次の機会に。
短い時間でしたが、久々の参拝で良い気分転換ができました。